深井だんじり祭復興の礎、水池町の地車・・・・
どもぉー、だん馬鹿です

お盆休みのひと時、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
帰省ラッシュ、高速道路の渋滞した車の中で、嫁や子供からの罵声を浴びながら、この『だんじり通信』をご覧の方もおられるのでは・・・・?
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さて、弊社の宣伝はこれくらいにして、今日の『だんじり通信』は去る8月5日(日)におこなわれた堺市深井水池町地車の修理完成入魂式のレポートをお届けしましょう。
水池町の地車は、昭和58年に岸和田市の《池内工務店》池内福次郎 匠の手により新調された『折衷型』地車。
見送りは『堺・住吉型』地車と同様に「三枚板形式」で細工されているものの、枡組は『岸和田型』地車と同様に「化粧枡」で細工されていることから、地車研究者の間では『折衷型』として分類されています。

水池町の会館には、「池内工務店作 堺型第一号」と記された額装された写真が飾られていたように思うのですが、ちなみに同工務店が製作した同様の地車は、同じ深井の畑山町(昭和60年新調)とこの水池町の二台のみ・・・・。

新調にあたって、当時、堺市内最大の地車であった、私の生まれ育った津久野地区 神野町の先代地車(現 西淀川区姫島)よりも大きいものをとの注文で製作されたと聞いています。
彫物は、当時第一線で活躍していた滋賀県醒ヶ井の井尻翠雲・岸和田市の十場祐次郎・富山県井波の中山慶春 師らが丹精込めて製作にあたられました。

新調当時には、堺市のフェニックス通りや木造燈台などの彫物が施されていましたが、現在は改修され取り替えられています。
平成6年と15年の二度に渡り、《池内工務店》で大掛かりな修理がおこなわれましたが、新調から丸30年を機に今回の修理では本体の洗い・締め直し、彫物の欠け継ぎなどが、今春に岸和田市から泉佐野市に作業場を移した《板谷工務店》板谷 始 匠の元でおこなわれました。
また、それに合わせ、大太鼓を当サイト『太鼓Q&A』でもお馴染の石川県白山市の《浅野太鼓》で、装飾品を京都の《川島織物》で新調され、入魂式に先立ち、二週間前の7月22日(日)に自治会館にて町民にお披露目されました。
入魂式当日は、早朝からうだるような暑さの中、多くの見物人が訪れていました。
私 だん馬鹿さんは、早朝からの岸和田市大北町の新調地車の入魂式を、宮下がりの城見橋交差点まで撮影し、大急ぎで堺までとんぼ返り・・・・。
7時15分の野々宮神社宮出に、ぎりぎりセーフ。
安全曳行を祈願し神事を終えた水池町の地車は、新調地車と見間違うほど綺麗になり、神社の鳥居のところで待機中。
ほどなくして、お披露目曳行のスタート。
神社を出てすぐ、おはぎの《丹波屋》前の交差点で豪快な「やりまわし」を披露。

続いて深井駅北側、旧 クリーニング《ふみや》前の交差点で「やりまわし」。

駅前をひとまずあとに、深井澤町の地車小屋まで表敬訪問・・・・(私は暑さのため駅前で待機)。
およそ40分後の午前8時10分、ようやく水池町の地車が駅前北側のロータリーへ姿を現しました。
ここで、本日3回目の「やりまわし」・・・・(難なく通過)。

その後、駅をあとに、お次は深井畑山町まで表敬訪問。

そして、深井東町へも表敬訪問。
私 だん馬鹿さんも、暑さと寝不足でフラフラになりながら、あとを追うことに・・・・。
東町では、平成17年に新調された同町の『岸和田型』地車との顔合せ。

私は、東町の会館で友人と缶コーヒーを飲みながら談笑・・・・(ごちそうさんでした)。
東町をあとに、自治会館まで戻った水池町の地車は、休息をはさみ、今度は町内を曳行。

午前10時すぎには、お披露目曳行も無事終了。

会館前では、記念撮影がおこなわれました。

深井においては、澤町を除き、昭和40年代までに地車が廃絶。
東町や畑山町ではふとん太鼓が担がれた時期もありましたが、昭和50年代に入り、子供地車や中古地車(畑山町)の購入をきっかけにだんじり曳行の機運が高まり、昭和58年に水池町の地車が新調されました。
これを機に、各町とも地車の新調に動いたと云っても過言ではないでしょう。
一時期は、澤町の一台になってしまった深井地区の地車も、今や上地車5台・下(岸和田型)地車3台の計8台。
『岸和田型』地車への転換・新調が噂される町も見え隠れする、昨今の深井地区・・・・。
地車ファンとしては今後の動向が気になるもの。
水池町の地車とて、10年後には『岸和田型』に代わってるなんてことがあるのかないのか、想像をめぐらせながら、深井の地をあとにしました。
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