地車祭シーズンの大取りは、広陵町箸尾の『戸立て祭』・・・・
どもぉー、だん馬鹿です

今年の地車祭シーズンは、10月31日・11月1日の奈良県広陵町箸尾の『戸立て祭』で終わりましたが、今月は地車参加型イベントが目白押し。
昨日・一昨日も、地車の曳行がおこなわれました。
11月3日(土・祝)は、今年初めておこなわれた『門真市地域伝統文化まつり』。

そして昨日は、これまた初のイベント『だんじり in 大阪城』 。

今週末11月10日(土)の『第2回宝塚だんじりパレード』や、来週末11月17日(土)の『第37回 にしのみや市民祭り』がおこなわれる予定。
また、年内には地車の新調・買い替えに伴う昇魂式も予定されており、まだまだ地車が見られる機会も数多く?あることでしょう。
さて、地車祭シーズンは終わってしまいましたが、今日はその締めくくりを飾った広陵町箸尾の『戸立て祭』を紹介しましょう。
広陵町箸尾を訪れたのは、10月31日(水)の宵宮の夜。
この日の夜が『戸立て祭』のメイン、櫛玉比女命神社への宮入りがおこなわれます。
ちなみに、箸尾の地では、弁財天・南・萱野・的場の4台の地車が曳行。
いずれの地車も、地車研究家の間では『広陵型』と分類される独特な『幕式地車』が曳行されています。
その中でも弁財天の地車は唯一、神社社殿の屋根を模した大屋根をもつ地車。
研究家の間でも、注目の一台・・・・。
私が現地に到着したのは、陽もどっぷりと暮れた午後7時前。
早くも、神社のまわりに立ち並ぶ露店の中、神社境内の入り口近くに、弁財天の地車が止められていました。

7時をまわり、地車は境内入口へと少し移動。
拝殿への方向へと向きが変えられました。

宮入りはその場所から、およそ30メートル余りを全力疾走。
綱を持ち、地車を曳く者は、拝殿前の石段を駆け上がり、拝殿の中へとなだれ込むのが、ここの宮入り。
台木は石段スレスレ、大屋根は拝殿の屋根の軒先ギリギリまで、怒涛の如く走り込み、地車を寸止めするのが習わし・・・・。
定刻の午後7時30分の宮入りまでは、青年団の皆々が地車の前で、伊勢音頭を代わる代わる唄い上げ、掛け声とともに身体をぶつけあったり。

それは、宮入りがおこなわれるまで続きます。
拝殿前では、宮司さんと町内の役員の方らが弓張提灯にローソクの灯を点し待機。

そして、いよいよ宮入り開始。
綱を持ち、掛け声とともに全力疾走。

拝殿前で少し右へと舵を取るのは、自警団(青年団OB)の役割。

スピードは全速力とまではいかなかったものの、地車は拝殿前で無事停止。

地車の上から御幣が宮司さんに手渡されると、青年団は拝殿の縁側でまたまた伊勢音頭を声高らかに唄い上げ、氏神様に奉納。
一節唄い終えると、その若者をの拝殿屋根の軒下に吊るされた、大きな鈴に頭を打ち付けるように持ちあげる。
これも代わる代わる、いつ終わることやら・・・・。

伊勢音頭が終われば、青年団は拝殿の中へ飛び込み、折り重なるように山積み状態。
巫子さんから鈴でお祓いを受け、宮入りは終了。
境内でも、年に一度の晴れの宮入りを祝い、伊勢音頭・・・・。
地車を拝殿の脇に移動させれば、もう次の南の地車が拝殿へ地車を向け待機中。
当然のことながら、青年団諸君は伊勢音頭の真っ最中・・・・。

この繰り返しで、弁財天・南・的場・萱野の順で次々宮入り。



4台の地車が、無事宮入りを終えたのが午後9時過ぎ。
秋祭りとは云え、初冬を思わせるような肌寒さの中おこなわれた宮入りでした。
『戸立て祭』の名は、秋祭りにしては遅いので寒くて戸を立てる頃だというので「戸立祭り」と呼ばれています。
また、戸を立て、老若男女誰しもが見に出かけたことから、そう呼ばれるとも・・・・。
宮入りを終えた地車は、一晩、境内に留め置かれ、翌日の本宮のお昼頃から各々の町内に帰って行きます。
当然、道中は、祝儀をいただいた家の前、町の辻辻で伊勢音頭を唄いながらの曳行。
お神酒を呑み交わしながら、止まる度にこれを繰り返すため、地車はなかなか前へと進みません。
ほんの100メートルを所用時間一時間なんてこともあり、それも昔からの習わし・・・・。
昔ながらの情緒あふれる村祭りの風情漂う広陵町箸尾の『戸立て祭』。

翌日、本宮の日は行けませんでしたが、春の神戸から始まる地車祭の大取りを飾る『戸立て祭』。
久しぶりに広陵町箸尾の『戸立て祭』を見に行ってきました。
皆さんも、一度足を運んでみてはいかがでしょうか・・・・。
祭礼日は、例年10月31日、11月1日の両日。
来年のカレンダーには、チェックを忘れずに!
では、また・・・・。
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