千早の奥地の地車を見に行ってきてもらったぞぉー!
北風に街路樹の落ち葉が舞う今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
どもぉー、だん馬鹿です。
いよいよ、本格的に冬の到来。
風の冷たさに、身震いしてしまうこの季節・・・・。
仕事場のラジオからは、クリスマスイルミネーションの話が聞こえていますが、例年、街のあちらこちらで見ることができた家々のイルミネーションも、今年はなんだか少ないような気がします。
これも、今夏の節電、しいては東日本大震災の原発事故の影響なのでしょうか・・・・?
さて、今日の『だんじり通信』は、ちょっとレアな地車を御紹介しませう。
まずは、写真をご覧いただきましょう・・・・。

地車の前に乗る子供らの手には、マイク。
ここで、「南河内かぁ~?」と、ピンときた人はなかなかのもの。
そして、もう一枚・・・・。

これがこの地車の見送り三枚板後正面に彫られている、「富士の巻狩り 仁田四郎、猪退治」。
なかなか、見事な彫刻に驚かれた方も多いのでは・・・・。
この地車は、大阪府南河内郡 千早赤阪村中津原の地車。

千早赤阪村と云えば、建水分神社の御旅所「比叡の前」に、地元千早赤阪村、河南町、富田林市から、十数台の地車が集結し、勇壮華麗な練りまわしや勾欄部分を舞台に見立てた『俄しばい』をおこなうことでつとに有名。
しかし、同じ千早赤阪の村内にあっても、山深い村落を単独曳行をおこなっているため、この中津原の地車の存在を知る人はどれほどいるでしょうか?

平成15年に地元 中津原の《市川工務店》により製作されたもので、土呂幕や見送り三枚板などの彫物のは、平成9年まで河内長野市古野で曳行されていた地車を譲り受け再利用。
その他にも、中津原(上中津)で平成に入るまで担がれ、その後保存、この地車製作前に解体された先代『担い地車』のものも利用されています。

製作途中には、同工務店に度々足を運び見せてもらっていたのですが、同年10月4日におこなわれた入魂式にも行けず、残念ながら今の今まで見に行けず仕舞い・・・・。
今年の秋祭りに、当サイト撮影部隊隊長のK君がその様子を写真に収めて来てくれました。

訪れたのは、10月21日(日)の夕刻。
夕方6時を過ぎ、金剛山の麓、山深い村落ゆえ、あたりはまっ暗・・・・。

提灯に灯りが点され、村祭りの風情たっぷり。
曳き手の数は少ないようですが、元気いっぱいな子供らの声が聞こえてきそう。

地車は、古野が腰廻りに8本の柱を施した『堺型』であったため、その彫刻をベースに『石川型』風に仕上げられています。
製作途中に見ているものの、欠損している部分が多かったため、その後どのようになっているのか、私も気になるところ。
来年こそは都合を付け、是非とも訪れてみたいものです。
では、今日はこのへんで失礼します。
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