茶屋のだんぢり漫遊録

目次

『辰年』の終わりにふさわしく・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

平成24年壬辰(みずのえたつ)の年も、今日を含めあと三日で終了ぉー。
今年もまた、やり残したことが山積みの私 だん馬鹿さん。
三日間でやり終えることなど、とうてい無理な話。
その悪循環の繰り返しでは、100歳、200歳、いや、不老不死の仙人にでもならない限りやり遂げることはできないのでしょう・・・・(笑)。

テレビでは、年内の仕事を終えた年末年始休暇の人々が、故郷・海外へと向かう姿が映し出されています。
我が社、モバイルテレビジョン(株)も、昨日から年末年始休暇。
とはいうものの、社長をはじめ、当サイト『だんじり』スタッフ一同は、休む間もなく自宅にてお仕事・・・・(辛)。
海外へ向かう、くそガキや笑みを漏らす者たちに憎悪すら感じながら、今日の『だんじり通信』の始まりでおます。

今年1月の下旬、姉妹サイトの『だん通 eo SE』で、「今年は何年? 地車に、なくてはならない・・・・」などと、今年の干支『龍』にまつわる地車彫刻や、京都の神社にある超巨大な『龍』の彫物を紹介しました。
ご覧いただいた方も多いことでしょう・・・・?

さて、『辰年』の終わりを飾るべく、今日の本家『だんじり通信』は、この日のためにしたためてきたネタを書いちゃいます。

まずは写真をご覧いただきましょう!

121229-1

どうです、真っ赤な口を開けた巨大な龍・・・・。
これは、岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓に鎮座している地元の氏神様 牛窓神社の秋祭りに曳き出されている牛窓地区関町のだんじりです

121229-2

大きな龍頭が施された『船型』だんじりで、船体の上には唐破風屋根の二階建て構造の屋形が細工され、摂河泉紀和各地で曳かれている『地車』と同様に、繊細かつ華麗な彫刻が随所に配されています。

牛窓町は、西は岡山市、北は邑久町、東と南は瀬戸内海に面した風光明媚な所で、「日本のエーゲ海」と称され、観光地としても知られています。
古くから海上交通の要所で「風待港」として栄え、江戸時代には朝鮮通信使の寄港地でもあったそうです。

121229-4

また、地車彫刻においても良く知られている神功皇后が三韓征伐の途中、この地で塵輪鬼(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に襲われましたが弓で射殺。
皇后が新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼になって再度来襲。住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒したとの伝説が残り、この場所を牛転(うしまろび)と云い、それが訛って牛窓になったといわれています。(確か、和泉市上代町の地車にはこのような彫物が施されていたような・・・)。

このような故事が残ることからも、牛窓町では「三韓征伐」の際に神功皇后が乗った絢爛豪華な御座舟を模した『船型』だんじりが造られ、曳行されているのかも知れません。

例年10月下旬におこなわれる牛窓神社の秋祭りには、このような「だんじり」が5台も曳行されており、多くの地車・地車彫刻研究者の間でも注目されています。
私 だん馬鹿さんも、「一度は見たいものだぁ~!」と思いつつも、なかなかその機会にも恵まれないまま幾年月・・・・。

そして、ようやく今年10月28日(日)に一念発起し、牛窓を訪れることに。
前日の天気予報では、あいにくの雨模様の予報。
しかし、こと「だんじり」に関しては、晴れ男の私 だん馬鹿さん。

前夜から降り続く雨もなんのその、日ごろお世話になっている河内長野市在住の地車研究家 K氏を伴い強行軍・・・・。
午前5時すぎに、堺の自宅を出発。
近畿道・中国道・山陽道を経て、岡山ブルーラインを通り、牛窓町へ。
午前8時40分に現地到着。
小雨は降っているものの雨足も弱く、雲の切れ間も見え始め、天気も回復傾向・・・・。

前日は夜遅くまで和歌山県橋本市で沈没していたため、下調べもほとんどせずに出てきたため右も左も解らぬまま。
とりあえず、祭礼時以外は一年を通してだんじりが展示されていると云う『海遊文化館』を訪れ、午前9時の会館時間を待ち、いざ情報収集に・・・・。

121229-3

ここで地図などをGetし、一番近い、関町のだんじり小屋へ・・・・。
徒歩で数分、小屋の中にだんじりは入れられたままで祝儀の受付中。

121229-5

聞けば「雨も上がりそうだし、もうすぐ外にだすよ」とのこと。
「やはり、だんじりの神様は私の見方であった」と感謝。

町の方々に大阪から来た事を告げると驚かれた様子で、だんじりのことについてしばし談笑。
しばらくして机・椅子がかたずけられ、いよいよ大きな龍首のだんじりを外へ。
私も手伝い、念願のだんじりの全貌が明らかに。

121229-6

全町6m、高さ3.1m、幅1.9m。直径45cmほどのコマが前後に4つずつ、計8個。
思っていたよりも巨大で、大阪府南河内郡太子町で曳行されているものとは、屋形細工などはまるで異なっています。

12122907

我々の知る「地車」とは違い、まるで動く御座舟。

121229-8

正面の屋根の上には、二匹の龍が絡みつくように施され、船尾には羽根の一枚一枚まで精密に彫られた大きな鳳凰が見事に彫られています。

121229-9

枡合いには、「七宝」のほか、「竹」や「亀」などが彫られ、勾欄部分には見事な「波」の彫刻も。

121229-14

121229-13

121229-10

121229-11

彫刻もさることながら、二層に組み上げられた屋形もまた見事。

海上交通の要所として栄えた町だけに、贅を尽くしただんじりに、時を忘れ見入ってしまいました。

121229-12

彫物の数々をカメラに収めているうちに、連絡していた兵庫県出身で私の友人の息子であり、岡山県下で宮大工の修行中のT君が到着。
小学生の頃から旧知の彼も早二十歳、およそ半年ぶりの再会。
牛窓を何度か訪れている彼の案内で、他のだんじりを見に行くことに。

そして、この続きは、次回の『だんじり通信』でのおたのしみ・・・・!
次回は、大晦日、12月31日(月)の更新の予定。

この調子で書いて行けば、次回でも終わりそうにないなぁーと少々焦りながら、本日はこれまで。
では、失礼します・・・・。


信濃屋お半だんじり通信
<<前の記事 次の記事>>