茶屋のだんぢり漫遊録

目次

平成24年の最後は岡山県瀬戸内市牛窓の秋祭り、その2回目・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

平成24年辰年も、あれよあれよという間に今日は大晦日。
今年もあと10時間足らずで終わりを告げ、平成25年巳年へバトンタッチ。

今宵、新年カウントダウンはどこへ行こうか行こまいかと思案しつつも、今年最後の『だんじり通信』の始まりでおます。

今日は、前回に引き続き、岡山県瀬戸内市牛窓町は牛窓神社の秋祭りに曳き出される「だんじり」の御紹介。

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前回は、右も左も解らぬまま訪れた関町のだんじりをかいつまんで紹介しました。
そして今回は、岡山在住の宮大工の卵 T君の案内で訪れた、残る4台の「だんじり」を紹介しませう。

関町をあとに、牛窓の古い街並みを見ながら東の方へ進んで行くと、どこからともなくお囃子が聞こえてきました。

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向こうからやって来たのは、東町の「御船だんじり」

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「だんじり」の巡行は、牛窓神社の御神輿が午前10時に神社を出発し、町内21箇所に設けられる御旅所を廻り、だんじりがある地域では御神輿が到着した後に、だんじりの曳行がスタート。
町内を勇壮に練り歩くと、関町で情報をGet。

時計を見れば、早くも午前10時30分。
東町には、既に御神輿がやって来たのでしょう。

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綱を持つのは、ハッピ姿の子供たちに長襦袢姿の若者たち。

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二層二階の「船だんじり」は、黒と朱色に塗られ、彫物はほとんど見当たりません。
目を引くのは、船体の菊と桐の紋の錺金具。そして、正面の「漁楽」と記された額。

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あとで解ったのですが、この「だんじり」が牛窓で現存最古 文政元年(1818)に製作されたものだとか。
先に訪れた関町のだんじりは、弘化2年(1845)の作。
残る4台を含め、牛窓の6台の「だんじり」すべてが、江戸末期から明治初頭に製作されたもので、岡山県重要有形民俗文化財の指定を受けています。

東町の「だんじり」を見送り、お次は関町の西隣にある中浦へ・・・・。

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農業倉庫と思しき所には、町の方は誰もいないようで、「龍」ならぬ大きな「麒麟」の彫刻を船首に持つ中浦のだんじりがポツンと置かれていました。

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この「だんじり」もまた、二層二階構造ですが、上下に二つの唐破風屋根を有し、下段の屋根には左右にも唐破風が施され、我々泉州地域の地車ファンが知るところの泉佐野市長滝中ノ番の地車の様な屋根細工。
上下二つの屋根に、六つの唐破風とは驚き・・・・。

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彫物は、波・雲・牡丹・竹・松などあっさりとしたものばかりであるが、なかなか見事な出来栄え。

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下段の屋根の正面には、懸魚には「鶴」、枡合には三重県伊勢は「二見浦に旭日」と、お目出度いことこの上ない図柄。

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コマは、我々お馴染の地車と同じく四つ。厚みは薄いものの大きさは、さほど変わりなし。
心棒は、地車ではあまり見られなくなった「木軸」でありました。

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ちなみに、この中浦の「だんじり」は、慶応2年(1866)に造られたもの。
古の匠の技には、驚かされるばかり・・・・。

一旦、車を停めている海遊文化館に戻り、お次の綾浦へは車で移動・・・・。
まだ御神輿が来ていないのか、会館横には綾浦の「獅子だんじり」が留め置かれていました。

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船首には、金色に塗られた「獅子頭」。

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これまた、二層二階の屋形細工。
上段は「千鳥破風」、下段には中浦の地車と同じ、四方に「唐破風」を配した造り。
船体や屋形は生漆・黒漆・赤漆で塗られ美しく、彫物はあまり施されていませでしたが、船尾には後テコを鼻に見立てた「天狗」が彫られ、とてもユーモラスでした。

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綾浦の「獅子だんじり」は、天保4年(1833)の作。
時代が遡るほど、装飾彫刻は簡素になるのでしょうか。

そして最後に訪れたのが、牛窓地区の西端に位置する紺浦

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同所に鎮座する厄神社の下のだんじり小屋(地元では何んと云うのでしょうか?)に「だんじり」は無く、もぬけの殻・・・・。

時刻は、ちょうど正午・・・・。
御渡りの御神輿が到着し、巡行中かと思いきや、小屋から少し離れた会館の所に置かれているのを発見。

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関町と同様、船首には巨大な「龍」の彫刻。

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船尾には、「鳳凰」の彫刻が施されているが、こちらは鳳凰の頭が丸々彫られています。

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屋形細工は、先ほどの「獅子だんじり」と同様に上段「千鳥破風」、下段には四方に「唐破風」を施した二層二階構造。
コマは、前に2軸4個、後に1軸2個の計6個。

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この紺浦の「だんじり飛龍丸」は、5台の中で一番新しく、明治8年(1875)に製作されたもの。
そのためか、彫物の数も5台の内で一番多く、これまで見て来た波や雲・花鳥もの・七宝などの彫刻だけでなく、人物ものの彫刻も施されています。

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下段の屋根正面の鬼板には、「一条戻り橋 渡辺綱、鬼退治」と思しき彫物。

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車板には「素盞嗚尊、大蛇退治」が、見事に刻み込まれています。

その下の枡合(蛙又)には、瀬戸内の港町らしく「鯛」の彫刻かと思いきや、二匹の「金魚」。

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左右の枡合(蛙又)には、蓑・笠を付けた人々の姿が彫られ、どことなくユーモラス。

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あっさりとしているものの、見る者を飽きさせることのない彫物構成もまた、古の匠の創意工夫が成し得た技なのでしょうか。

ひと通り彫物の写真を撮り終えたところで、お昼を廻り、お腹もぺこぺこ・・・・。
案内役を務めてくれたT君とは、岡山県下某所の「だんじり」探索のために、ここでお別れ。
我々は、午後2時からおこなわれる、牛窓の5台の「だんじり」集結まで、腹ごしらえ。

車で移動すれば、最初に見に行った関町の「だんじり」が、町内を曳行中。

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曳行の模様は近日中にお伝えすることを約束し、平成24年辰年最後の『だんじり通信』は、これでオシマイ。
来る平成25年もよろしくお願い申し上げます。
ほな、良いお年をお迎え下さい!!

信濃屋お半だんじり通信
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