あぁー珍しいもん見せてもろた! これも小楠公のお導き・・・?
どもぉー、だん馬鹿です

一昨日は長電話と睡魔と頭痛で更新できず、昨日やっとのことで超レアな門真ネタをアップ。
まさか、続いて今日更新がおこなれようとは、ユーザーの誰一人とて思わなかったことでしょう。
まぁー、たまにはこんなサプライズもあっていいかななんて思いながら、今日も『だん通』の始まりでおます。
門真市打越の新地車搬入に立ち会った帰り道、ここまで来たのだからと北河内方面を探訪することにした私は、交野・枚方・四条畷方面の神社をブラブラと訪問。
最後に訪れたのが、四条畷市南野に鎮座する四条畷神社。

この神社は、建武中興の世に活躍した武将、あの湊川合戦で討ち死にした大楠公 楠木正成の子、「小楠公」と呼ばれる楠木正行(まさつら)をはじめ、同正時、和田賢秀ら四条畷の戦いで南朝に殉じて死した楠一族の将兵25柱を祀る神社です。
創建は明治23年(1890)と、数ある神社の中でも新しく、これは明治維新を機に、この地の平田神社の神職らが、正平3年(1348)の四条畷の戦いで南朝に殉じた楠一族の霊を祀る神社の創建を願い出たことによります。
楠木正行は、鎌倉時代の末期、皇位の継承が公郷幕府の思惑が絡んでもつれた時に不利を覚悟で一身をなげうち、あくまでも正統の後醍醐天皇を守り、湊川において討ち死にしたさ楠木正成の長男。
桜井の駅の別れにおいて諭された父の遺訓を固く守って成人した小楠公は、南朝方の中心となり、幼い後村上天皇を守護し正義の為に戦いました。
積極的な戦法で、しばしば賊を破りましたが、この四条畷の戦いにおいて衆寡敵せず、23歳の若さで討ち死にしました。
この大楠公と小楠公の別れの場面は、地車彫刻においても『楠公子別れ、桜井の駅』として、数多くの地車に刻み込まれています。

境内には、親子が対峙している石像も建てられていました。

この四条畷神社は飯盛山の山裾の高台にあるため、長い石段を登らなければなりませんでした。

その石段を登り切ったところで、一対のコマ犬が参詣者を出迎えてくれます。
尻を上げ、歯を食いしばった吽形のコマ犬は、威風堂々としてなかなかの威圧感。

しばし目を奪われたのですが、よくよくコマ犬を見てみると、その目にはガラス目が入れられていました。

そして対となる、口を少し開けた阿形の方もまた、ガラス目で細工されていたようですが、こちらは割れてしまったのか、残念ながらガラス目は欠損。


これまでにも多くの神社を訪れていますが、ガラス目で細工されたコマ犬に出会ったのはこれが初めて。
地車彫刻においては、ガラス目で細工されることは近年稀になってきましたが、逆に石像にガラス目が施されているものにお目にかかろうとは・・・・。
これも、日ごろから地車彫刻でお目にかかっている楠木正行 公のお導きだったのかも知れません・・・?

珍しいものを見せていただいたことに、拝殿で手を合わせ、感謝感激。
オフシーズンのこの季節、地車を離れ、神社詣でもなかなかのもの。
まずは地元の神社から、皆さんも、ぶらり散策に出かけてみてはいかがでしょうか。
では今日はこのへんで、失礼します・・・・(ペコッ)。
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