茶屋のだんぢり漫遊録

目次

永き眠りから目覚めることを願いながら・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

2月28日(木)、門真市打越町に、富田林市東板持から譲り受けた地車が搬入されました。

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その日は、私の勤めるモバイルテレビジョン(株)恒例の会議の日。
しかし、打越町内への搬入に立ち会うべく、会議はもちろん中止。
会議まで中止にしてもらったのだからと、この日は『だん通』のネタを求め北河内地域をウロウロすることに・・・・。

どこかエエとこは無いものかと思案に思案を重ねること、ほんの数秒・・・・(早)。
今から7・8年前に、一度訪れたことのある枚方市内の神社へ赴くことにしました。

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ところは、枚方市春日元町に鎮座する春日神社
この神社では、一台の地車が永い眠りについているのです。

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車を止め、環濠に架かる石の太鼓橋を渡り、鳥居をくぐり境内を進んで行くと、右手に見えてくる白い建物がこの神社の拝殿。

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その手前にあるのが社務所で、その左手の扉が地車小屋。
神社の社務所と地車小屋が軒を連ねているのも珍しく、私の友人などは数回訪れたにも関わらず、地車小屋の場所さえ発見できずに帰って来る始末・・・・。

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平日の昼下がりでもあり、境内には参拝に訪れる人の姿も見当たらず、社務所とて誰もいません。
確か社務所の裏手が宮司さんの自宅だった事を思い出し、裏手の勝手口へ廻れば、中から人の気配。

引き戸を開け、声を掛けると、中におられたのは宮司さんと思しき方・・・・。
「あのぉー、すいませんが・・・・」と声を掛ければ、賺さず返ってきたのが『だんじりですか?』との声。

おられたのはやはり宮司さんで、度々見に来る人がいるのか、快く小屋を開け、地車を見せていただくことに・・・・。
7・8年前に訪れた時には、晩秋の夕暮れ迫る頃だったにもかかわらず、奥様が扉を開けて見せてくれたことを告げながら、しばし談笑。

いよいよ扉が開かれると、そこには以前見たのと何ら変わらぬ一台の地車が置かれていました。

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まず目を引くのが、屋根の正面に施されている「鳳凰」の懸魚。
極彩色に塗られていたであろうその懸魚も、そのまま・・・・。

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屋根の下、地車の内部に据えられた巨大な大太鼓も以前と変わらぬまま・・・・。

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この春日神社に保存されている地車、摂河泉紀和、数ある地車の中でも珍しい『一枚屋根型』の地車
正面から見れば唐破風屋根の太鼓台かと見間違うほどですが、屋根を支える柱は6本で細工され、側面の3本の柱は台木から等間隔に立ちあがってはおらず、前2本の柱間口の方が広くとられています。

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屋根幅の割に、腰の高さは低く、コマは木製の心棒。

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鬼板は「獅噛み」ではなく「鳥襖」。
車板に彫物は無く、彫物は屋根廻りの懸魚と枡合い、柱の木鼻のくらいの簡素な『幕式』地車。

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しかし、どうしてどうして、派手さはないものの、味わい深い彫物で、なかなかの秀作。

製作年や製作大工、購入経路なども判明していませんが、おそらく江戸末期くらいに造られたものかと・・・・?
宮司さんの話では、枚方市の招堤あたりから譲り受けたものとのことでした。
以前は、太鼓橋を渡り、数段の石段を上り、宮入りしていたとも話されていました。

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おそらく、戦後の経済高度成長期の社会情勢の変化から曳行されなくなり、神社の地車小屋で保管されてきたのでしょう。
製作から永い歳月を経て、老朽化してはいるものの、保管状態も良く、足廻りの修理や屋形の補修さえおこなえば、まだまだ曳行できそうな地車。

今は小屋から出されることもなく小屋の中で眠りについたままですが、宮司さんとて秋祭りに曳き出せないものかと思っておられる様子・・・・。
いつの日にか、この神社の氏子の皆さんの手で、永き眠りから目覚めることを願いながら、同神社をあとにしました。

では、今日はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。


信濃屋お半だんじり通信
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