茶屋のだんぢり漫遊録

目次

ひょんなことから、こんな写真でましたけど・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですパー

今日午前中に定例会議を終え、午後からは今日更新するつもりであったこの『だんじり通信』の原稿執筆開始。

地車関連行事などの少ないこの季節、「さぁ~て、今日は何を書こうか」と、腕組みしながら眉間にしわを寄せ、思案、思案・・・・。
明日更新するPCサイトの『だん通 eo SE』との兼ね合いも考え、しばし長考・・・・。

この前の日曜日におこなわれた、藤井寺市伴林と和泉市和気町の新調地車の原木祭のことを書こうかと思っていたところ、伴林の現地車の姿写真の有無が気になりだした。

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ケータイでこのサイトにアクセスし、伴林の写真がアップされているかをチェック。
残念ながらアップされておらず、今年こそはどないしてでも撮影しなければと心に誓うものの、どこかで写真を見たような気がしてなりません。

ひょっとしたら、以前もらった富田林市在住の友人Nariチャンが撮影した古い写真データの中にあったのではと、HDをつなぎ直し、フォルダーを探して見てみれば、思い違いであったのか伴林の地車の写真は見当たりません。

しかし、そのホルダーの中は貴重な写真の宝庫。
出てくるは出てくるは、レアな写真の数々・・・・。

ふと目に留まったのが、河内長野市上古野の先代地車

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記憶の良いユーザーの方なら覚えているかも知れませんが、昨年12月6日の『だんじり通信』で紹介した、千早赤阪村中津原地車の元になったのがこの地車。

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>>平成24年12月6日の『だん通』を見る

平成9年まで上古野で曳行された後、中津原で解体され保存。
この地車の彫刻や解体された中津原の『担いだんじり』の彫物を再利用し、平成15年に完成したのが、現在の中津原の地車。

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出てきた写真は3枚だけでしたが、その中には見送り後正面の「仁田四郎猪退治」の写真もバッチシ。

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その中には、長野名物の「ぶん廻し」と思しき写真も。

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スキャンされた同じネガには、平成元年に植山工務店修理された河内長野市野作の写真や平成6年まで曳行されていた東大阪市若江西の地車(現柏原市国分昭和町)の写真も入っていたこから、平成元年から同6年の間に撮影されたものでしょう。

たまに、友人知人などから古い写真をもらったりするのですが、その時は覚えていても、どこかにしまい込んでしまい忘れてしまっていることもしばしば・・・・。

伴林の写真もどこかにあるのかも知れませんが、何かのきっかけで見つかることに期待しながら、今日の『だんじり通信』はこのへんで・・・・。

では、失礼します・・・・(ペコっ)。





信濃屋お半だんじり通信
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