淡路島だんじり紀行 第二弾、『淡路に曳きだんじりを求めて』の二回目・・・・
どもぉー、だん馬鹿です。
今日は前回に引き続き、去る4月14日(日)に訪れた兵庫県洲本市の下加茂に鎮座する加茂神社の祭礼の様子を紹介するのですが、3月に4回に渡り紹介した『淡路島だんじり紀行 安乎(アイガ)町編』が第一弾なら、今回の『淡路に曳きだんじりを求めて』は、その第二弾・・・・。
明日、4月21日(日)にも洲本市大野の白髭神社と淡路市多賀の伊弉諾神宮の祭礼へと赴く予定ですから、第三弾があるのかないのか、ご覧の皆さんも気になることでしょう・・・・?
「いつも、行きあたりばったり・・・」ではないものの、書いている途中で方向転換なんてことが多い、この『だんじり通信』。
今後の展開は、私にだって解らない。やっぱ、行きあたりばったり・・・・(笑)。
さて、前回は午前中の探索結果報告をおこないましたが、今回は加茂神社の宮入りの様子を紹介。
午前中に訪れた同市池内の妙見宮(天御中主神社:アメノミナカヌシジンジャ)で町の方に聞いた話では、ここからほど近い金屋の新宮神社でも春まつりがおこなわれ、なんと今年「布団だんじり(太鼓台)」を新調したとのこと。
加茂神社の宮入りまでは少々時間もあり、ちょいと寄り道・・・・(ほんま、行きあたりばったり)。
池内から車で5分ほどで金屋の新宮神社に到着。
しかし、「布団だんじり」の姿はなく、居合わせた方に聞けば、会館のあたりとか・・・・。
数分で会館に到着し、休憩中の「布団だんじり」を発見!

その傍らには、和泉ナンバーの見慣れた車が一台。
なんと日ごろから、一緒に地車を見に行く若い衆が二人。
こんなところで会おうとは、彼らも思っていなかったに違いない・・・・(笑)。
脚立に乗り、必死に写真撮影している彼らを尻目に、「布団だんじり」を見れば、新調されたと思うほどの新しさではない。
聞けば、布団部分を作り替えたのだとか・・・・。
しかし、その金屋の「布団だんじり」の狭間(枡合い)の彫物を見た瞬間、その素晴らしいに少々度肝を抜かれた感じ・・・・(ギョ!)。
開さん、舜さん、松田さん、もちろん高松彦四郎でもなし。
銘などは見当たらず、ひょっとしたら二代目黒田正勝あたりの作ではなかろうかと思うそのノミ跡・・・・。

残念ながら、休憩はあっと言う間に終わってしまい、写真を撮る間もなく、「布団だんじり」は出発進行!
皆さんに、その彫物を見ていただくこともできず、こりゃまた残念無念。
そのうちに、若い衆から写真をもらい、お見せできる日もやって来ることでしょう・・・・(乞うご期待!?)。
金屋の「布団だんじり」に後ろ髪を引かれる思いで、次なる目的地、下加茂の加茂神社へ。

時刻は午後1時をまわり、午前中に訪れた加茂神社の参道の鳥居のところに置かれている下加茂の「曳きだんじり」のまわりにも、三々五々、ハッピに身を包んだ老若男女が集まりだしました。

しばらくして曳き綱が出され、準備も万端、だんじりに乗り込む子供らもいれば、綱を持つ子供らも。

しかし、綱を曳くのは大半が、その子供らのお爺ちゃんやお婆ちゃん・・・・。


神社まで続く数百メートルの緩やかな坂道を10分ほどかけて上り切り、バックで「だんじり」は境内へ・・・・。

その後を追うように、お次は桑間一丁目の「だんじり」が坂を上ってきました。

こちらも綱を持つのは、ほとんどが年配の方。

子供らは、地車の前部や後部大屋根の下の中二階に乗り込んでいます。

このあたりでは、「だんじり」は年配の方々が中心となり曳くもので、子供らは地車の中に乗り込むのが一般的なのかと、ふと思ってしまいました。
しかし、この地に限らず、近畿一円、特に農村部や所帯数の少ない村落などでよく見かける光景。
今や、当たり前の姿なのかも知れません・・・・。

桑間一丁目の「だんじり」は、ゴムタイヤであるのが功を奏しているのか、その足並みも速く、一気に坂を上り切り、前の下加茂の「だんじり」を急かすかのように、こちらもバックで境内へ・・・・。

その後、拝殿では神事がおこなわれ、「だんじり」の横では子供らによるお囃子や獅子舞もおこなわれていました。

残念ながら、私はここでタイムアップ。
宮出しまでは見ることができませんでしたが、御神輿と共に宮出しした後は、先程の鳥居の所に二台の「だんじり」が留め置かれ、お囃子や獅子舞がおこなわれるそう。
村祭りの様相を色濃く残す、加茂神社の春まつり。
ほのぼのとした光景に心なごませながら、加茂の地を後にしました。
次回は、淡路島だんじり紀行 第三弾?、それともこの日の続きを書こうかな・・・・などと思いながら、今日はこのへんで。
では、明日も淡路島へ行ってきます!!
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