泉大津市助松町の子供地車が・・・・
近年、曳行を休止していた泉大津市助松地区 助松町子供地車が売りに出されていると、この夏の初め、耳にしました。後日、我がサイト『だんじり』情報班のK氏より、「今、どっかの町が、助松の子供、見に行ってるらしいわぁ~」との情報を得、「こりゃ、ええ機会や、見に行かなぁ~」と、車を走らせたのですが、一足違いで見ることが出来ず残年無念・・・・。「どこの町やねん・・・・?」、「ほんまに買うんかいなぁ~」と、我がサイトのスタッフの間でも話題沸騰・・・・。
そんなこんなで、お盆も過ぎたとある日、「あにきぃ~、わいの住んでる○○○町なぁ~、だんじり買うねん」と、とある寄り合いの席上で一年年下の某町曳行副責任者のT氏から耳打ちされた。「ひょっとして、助松子供かぁ~?」との私の問いかけに、「ほぼ決まりやでぇ~。わい、子供会の役員してるねん。寄り合い出てるしぃ~」との返事。まさか、私の目と鼻の先に、関係者が潜んでいたとは、驚き、桃の木である・・・・。その寄り合いの数日前にも、我が町の曳行副責任者のF氏からも、○○○町が地車を買うらしいと聞いていただけに、情報の信憑性も鰻登り・・・・。あとは、「いつ正式に決まるのか、いつ町に搬入されるか、入魂式は、果たしてどこを曳くねん・・・・」と、数々の疑問が私の頭の中を駆けめぐったのである。なんせその町は、やたらと坂が多く、やりまわしを行う場所もほとんど見あたらないからである・・・・。近隣の地区へ乗り入れるのか・・・・? それとも・・・・?
そして昨夜、自町若頭の寄り合いの帰り、我が町の曳行副責任者のF氏から、「回覧板、回ってるわぁ~。○○○町、決定したみたいやでぇ~」との話しを聞いた。「善は急げ!」、とりあえず○○○町へ車を走らせた。そして、見つけた自治会の掲示板には、【○○○町だんじり 納車式】と書かれたポスター。横には、「○○○八幡宮まつり」のポスター。「おみこし、獅子舞、だんじりなどのお渡りはひるまえ出発」と書かれている。紛れのない事実、あと一週間余り先のことである・・・・。
この○○○町とは、いったいどこの町のことなのか・・・・? 「もったいつけんと、教えたらんかい」とのお叱りがあるかないかは、関知しませんが、そろそろ発表といきましょう・・・・!
その町は、その町は・・・・、堺市上野芝向ヶ丘町「向ヶ丘町自治会」なのです。

このたび、めでたく、泉大津市助松町地車保存会より、同町の子供地車を譲り受ける事が相整い、地車の曳行を始めることとなりました。「子供地車」とは言うものの、この地車は少々小降りではあるものの、れっきとした「ほんまもん」の『岸和田型』地車で、そこいらの手作り地車や屋台のたぐいとは違います。彫物もきちんと細工されています。助松町において、これまで子供会が主体となって曳行されていたものです。しかしながら、ここ最近は曳行を休止していると聞いていました。その動向が、気にはなっていたのですが、まさか、私の住む堺の地にやってこようとは・・・・。
この地車は、江戸末期から明治期に製作されたと推測できるもので、製作大工・彫物師などの詳細は不明。元々、堺市上神谷地区 栂で曳行されていたもので、昭和61年池内工務店を経て購入。平成8年には、《池内工務店》池内幸一 棟梁の手により改修。平成17年から曳行を休止していました。
嫁ぎ先もようやく決まり、向ヶ丘の地で末永く曳行されることを祈念しながら、夜も零時を回る頃、この地を後にしました。
なお、本年10月4日(土)、午前11時~12時、向ヶ丘町自治会館にて『納車式』がおこなわれます(雨天決行)。本年祭礼は、10月5日(日)。昼前には、氏神の向ヶ丘八幡宮から、御輿・獅子舞・だんじりの「お渡り」がおこなわれます。
<<前の記事 | 次の記事>> |