感動と興奮のルツボ・・・、あの名工の作品を見てきたどぉー!
どもぉー、だん馬鹿です

今日の『だん通』は、ご覧のユーザーの皆さんにとっておきのものをご覧にいれます。
特に、地車・太鼓台・社寺彫刻ファンには、喉から手が出るほどの逸品。
そう書けば大方察しはつくと思いますが、多くの彫物ファンの方も実物を見た人はそう多くはないはず・・・?
それだけ、レアな代物なのです。
江戸・明治の時代から今日まで、地車・太鼓台の彫物を細工した彫物師さんは、数多く存在します。
相野に服部、辻田に彫清、彫又に小松、花岡に高松、黒田に松本・・・・。
思いつくだけでも、その一門の数は相当なもの。
その彫物師の数もとなれば、想像を絶するほどの数になるでしょう。
私の住む泉州地域、特に『岸和田型』地車にその名を残す彫物師では、彦四郎に玉井、左ヱ門に舜さん、開さんに・・・・。
現在活躍中の彫物師を含めれば、思い付くだけでも・・・・。
その中でも、昭和の初めから昭和30年代に製作された多くの地車の彫刻を細工し、燦然と輝く名工の一人に数えられるのが、地車彫刻ファンの間で「舜さん」と呼び交わされている木下舜次郎。
その「舜さん」が刻んだ太鼓台の狭間(枡合)が新古品で存在しているとの話を風の便りにしたのが数年前。
「どんなもんなんか、見ぃーたいやん!」と思いながらも、月日は流れて、そんなのが存在しているのも私の記憶から薄れ去ろうとしていた時、ひょんなことから見る機会が訪れたのです・・・・。
この春から、兵庫県淡路島の「曳きだんじり」を見てやろうと思い、足を運び始めた淡路島詣で・・・・。
その彫物を保有している淡路島の有名企業さんの仕事場を見学する機会が訪れたのです。

そう、6月4日(火)の姉妹サイト『だんじり eo SE』の「だん通 eo SE」にも書いた《だんじりや》梶内だんじり株式会社がその「舜さん」が刻んだ太鼓台の狭間を保有していたのです。
「ヤッホォー!」、去る3月20日に同社をお邪魔した際、作業場見学の最後の最後にじっくりと拝見させていただきました。
見せていただいたのは、舜さんが刻んだという四面の狭間のうちのひとつ。

「天岩戸」が彫られたもの。

今にも踊りだしそうな天鈿女命(あめのうずめのみこと)、繊細な木々の葉。


銘はありませんでしたが、そのノミ跡は真に「舜さん」・・・・。
付け木を含め、4層(一部5層)の絢爛豪華な彫物に開いた口もふさがらないほどの感動。

舜さんの刻んだ多くの地車彫刻とは、また違った作風に衝撃を感じながら、この日は梶内だんじりをあとにしました・・・・(木工部主任の佃さん、ありがとうございました・・・感謝!)。
同社が保有していた同時期に彫られた四面の内のふたつは、現在、大阪府下某所の太鼓台に組み込まれたそうで、残る一面は、ちょうど淡路を離れ、とあるところに・・・・。
まぁー、そんなこんなで念願の「舜さん」の太鼓台の狭間一面を見ることができました。
さて後日、梶内だんじりが保有する残りの一面も見ることに・・・・。
それはまた、この『だんじり通信』でユーザーの皆さんだけにご覧いただこうと思っていますので、お楽しみに・・・・。
ほな今日はこのへんで、失礼します・・・・(ペコっ)。
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