夏の終わりの悲しい出来事・・・・
どもぉー、だん馬鹿でっすぅー!
いよいよ今日から熱く燃え上がる大阪夏まつり地車曳行へと突入。

今日・明日は東住吉区育和や守口市大枝で夏まつり本番を迎えます。
また、明日はこれから夏の地車曳行を迎える城東区や生野区などの地域でも試験曳きが行われる予定。
その他にも、奈良県大和高田市奥田でも同所の年中行事のひとつ「蓮取り行事」に合わせ夕刻から地車の曳行が行われます。

大阪の夏まつりは天王寺の「愛染まつり」に始まり、住吉大社の「住吉祭」で終わりを告げると云われます。
堺においては、7月31日には大鳥大社のお渡りが、そして8月1日には住吉大社のお渡りが、宿院の頓宮へとやってきて、堺の町は盆と正月が一緒にやって来たような賑わいを見せていたのだとか。


往古から、この「住吉祭」のお渡りがある、この日に合わせて堺旧市域では地車の曳行が行なわれていましたが、明治29年8月1日に中之町大道での湊組(現 出島)の『船地車』と北の包丁鍛冶組(鍛冶屋町)の地車のすれ違いがもとで、双方は道幅が狭い道路で対立。
双方は容易に譲らず、道筋両側の屋根の上からは屋根瓦を投げ、下では大乱闘の大喧嘩に発展。
ついには、鍛治屋町の一人が明治10年2月13日の明治天皇行幸の際に行幸所となった当時の鈴鹿邸にあった大身の真槍で2名を殺傷するという事態になり、堺警察の警察官数十名が出動して収めたものの、負傷者は数知れず、道路は瓦や礫の山となって収拾がつかない状態。
この殺傷事件で、江戸の昔から続いた堺旧市域での地車曳行は禁止されてしまいました。
その現場となったのが、チンチン電車(阪堺線)が通るこのあたり・・・・。

今も、明治天皇行宮所址の石柱が、線路の脇に立っています。
明治39年の日露戦争奉祝を気に太鼓台を担ぐことは許されましたが、約110年歳月を経た今日までも旧市域での地車曳行は復活していないのが現状。
旧市域で地車の曳行が行なわれていた事を知る地車ファンの中には、地車復活を望む方もおられる事でしょう・・・・(私もその一人ですが)。
さて、実は私、そんな事をふまえて、週明けの月曜日、7月8日に某大手神社で「住吉祭とだんじり -消えた堺・住吉のだんじり-」と題した講演をおこないます。
某神社の神職の方に依頼されたもので、私にとっては初めての経験。
日頃から貝が口を閉ざしたような性格と云われる私、いかが相成ります事やら。
まぁ~、住吉祭に関することですから、某神社の名前も察しが付くはず・・・・(笑)。
詳しくは某神社のHPにも出ていますので、お暇な方はぜひとも聴きにきてやって下さい。
決して、やじなど飛ばさなぬようにー!
では、今日はこの変で失礼します・・・・(ペコっ)。
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