茶屋のだんぢり漫遊録

目次

122年間お疲れ様でした! 堺市大森地車昇魂式・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

泉州各地の祭礼が終わり、早くも一ケ月の月日が流れました。
祭礼が終われども、後片付けに「らくさく(打ち上げ)」、反省会や各種会合と、役員さんたちにとっては、何んやかんやと慌ただしさから脱出はできません。
私たち撮影スタッフも、昇魂式にイベントと、相も変わらず、忙しい日々を送っています・・・・。

この一ケ月の間、来年に地車新調・買い替えをこなう町では、昇魂式・お別れ曳行がおこなわれ、深まり行く秋の空に地車囃子が鳴り響いています。

10月20日(日)に、貝塚市と高石市高師浜、それに高石市 高陽。(高陽は団体解散・地車売却に伴うもの)。
10月27日(日)には、熊取町小谷に岸和田市大沢町

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大阪狭山市池之原は11月3日(土)にお別れ曳行をおこない、翌日に神事・搬出。

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河内長野市上田は、11月3日(土)の夜と4日(月・祝)の午前中の両日にお別れ曳行。

昨日11月10日(日)は、堺市美福連合 大森で昇魂式・曳き納めがおこなわれました。

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大森の地車は、明治24年に、小阪(現 堺市小阪)の《堀内市松》から購入し、その年の8月5日(旧暦)に村内に納められたと伝わっています。

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地車の型式は、『板勾欄出人形式住吉型』地車で、柱巻き、大屋根下の勾欄部分、見送りに「出人形」と呼ばれる彫刻が配されているのが特徴。
特に見送り部分の大ぶりな出人形は圧巻

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彫物は、堺の《彫又》一門の手によるもので、二代目西岡又兵衛の三男 西岡弥三郎の手が入っているのは間違いないでしょう・・・・。

江戸末期から明治期に、住吉の《住吉大佐》・《住吉大源》、金田村(現堺市金岡町)の《河村新吾》の手により製作されたと考えられ、堀内を通じ中古購入された地車なのか、はたまた堀内市松が自ら製作したものなのかは今となっては不明。

平成3年には、岸和田市の《吉為工務店》で大修理がおこなわれ、屋形一式を新調。

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大屋根正面の獅子噛や懸魚など、一部の彫物もこの時に新調・交換されています。
この地車購入から122年の歳月を経て、「やりまわし」中心の曳行形態の変化に伴い、安全面を考慮し、『岸和田型』地車を購入することが決定。
来年7月には堺市鳳地区 長承寺から譲り受けた地車が大森の地で御披露目される予定。

購入から122年、町民の思い出がいっぱい詰まったこの地車も昨日11月10日(日)が曳き納め。

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午前6時30分、曳行開始とのことでしたが、あいにくの空模様。
町内から美多禰神社を経て、堺市別所(上別所)まで片道およそ5.5kmを曳行する予定。
しかし、それも天候次第で変更ありととことで、とりあえずは神社を目指し曳行開始。

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隣村の檜尾では、地車小屋を開け、檜尾の地車がお出迎え・・・・。

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旧道から泉北1号線へ出て、バス通りを堺市檜尾のJA美木多まで・・・・。
ここでは、中山と上北の青年団がお出迎え。

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ここからが、美多禰神社宮入りの難所とも言える長い急な坂道がお待ちかね。

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この日は、曳き手の数も少なく、上り切れるのかと、見守る中山・上北などの青年団や見物人も少々不安げ・・・・。

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追い太鼓を響かせながら、ゆっくりと急坂を上りきり、坂を上がれば左に向きを変え、さらに急坂。

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ゆっくりと、坂を上り切れば、美多禰神社の前に到着。

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神社の駐車場に地車を据え置き、ここで122年間の労をねぎらうかのように昇魂の神事。

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神事は厳かにおこなわれ、神事の最後は神主さんの合図で、町民一同がそろって、地車に二礼・二拍手・一礼。

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神事のあとは、各種団体ごとに地車をバックに記念撮影もおこなわれました。

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曳行が始まるころから、雨がポツリポツリと降り出していましたが、ここで協議の末、予定通りに上別所まで曳行することに決定。

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ここから、中山・上北・檜尾の青年団も加わり、一路上別所に向け曳行開始。
私も別所に向かう途中の山戸のバス停の所へと先回り。

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降りやまぬ雨の中、大森・中山・上北の青年団が一緒になり和気あいあいと曳行。

往古には、次のバス停がある灰掛でも地車が曳行されていたとか。
大森の地車も、昔は灰掛や別所まで曳いて行っていたとのことで、この曳き納めも上別所まで行くことになったとか・・・・。

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上別所へと向かう大森地車の後姿を見送り、大森昇魂式の撮影は終了。
私 だん馬鹿さんは、次の取材先へと車を走らせました。

なお、この大森地車の譲渡先は、いまだ未定。
このタイプの地車が数多く見られた堺市内や和泉市内から、その姿はほとんど消えてしまいましたが、上だんじりの中でも、なかなか見応えのある、味わい深いタイプの地車。
願わくば、堺市内のどこかで曳行されればいいのですが・・・・。

購入希望の自治会・町会などございましたら、大森地車買替委員会までご連絡を!
詳しくは同会のHPをご覧ください⇒ https://sites.google.com/site/oomoridanjiri/

ほな、今日の「だんじり通信」は、このへんで失礼します・・・・(ペコっ)

信濃屋お半だんじり通信
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