茶屋のだんぢり漫遊録

目次

新たな町への旅立ち、堺市鳳地区 長承寺の地車・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

昨日・今日と好天に恵まれ、絶好の行楽日和。
気温も少し高めで、しのぎ安く、行楽地へ出掛けられた方も多かったのでは・・・?

私 だん馬鹿さんは、昨日は神戸、そして今日は泉南市へと取材を兼ね、地車・やぐらを見に行ってきました。
このサイトのユーザーの方にもお逢いしましたが、山々の紅葉よりも、やはり地車なのかと思うことしばし。
まぁー、私もそんな地車ファンの一人なのですが・・・・。

さて、昨日11月23日(土・祝)、一台の地車が、永年曳行され続けた町をあとに、新天地となろう新たな町へと旅立ちました。
それは、堺市鳳地区 長承寺のだんじり

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もともとは、岸和田市五軒屋町で明治36年(1903)に新調された地車で、地元の名大工棟梁 《大平》こと、尾崎杢兵衛の手により製作されたもの。
特に大屋根の枡組に特徴があり、当時としては他に類を見ない斬新なものと言えます。

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彫物は、宮地弥津計が責任者となり、助に安田卯ノ丸・櫻井義國・玉井行陽らの名工が手を加えた地車。
彫物図柄は、『太平記』で統一され、「大楠公」・「菊水」だんじりと呼ばれるほどの名地車。

大正11年(1922)に五軒屋町の先代地車が新調され、同市河合町に売却。
その河合町から昭和44年(1969)に譲り受けたのが、堺市鳳の長承寺

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購入以来、実に44年間、長承寺の町の宝として大事に曳行されてきましたが、来年には泉大津の《泉谷工務店》泉谷浩文 匠と地元鳳出身の《木彫前田工房》前田暁彦 師の手により新たな地車が完成予定。

新調から120年の歳月を経ているものの、これまでの大規模な修理の甲斐あってか、まだまだ現役で曳行可能な地車。
縁あって、堺市美福連合 大森に譲渡されることが決定。
諸事情のため、お別れ曳行はおこなわれずに10月13日(日)にこれまでの労をねぎらうかのように神事がおこなわれ、この11月23日に引き渡されることに。

この日は、午前8時に長承寺の地車小屋から搬送車が止められる町内の広い道路まで移動開始。
私 自身、残念ながら諸事情のため移動する様子は見ることができませんでしたが、私が到着した8時30分頃には既に地車の移動が終わり、搬送車に積み込まれるところ。

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子供から老人まで、多くの町民の方々が惜別の思いを胸に、地車を取り囲むように集まっていました。

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購入した年に生まれた人も44歳。その頃、20歳の青年団の人は定年を迎えようとする年齢に・・・・。
他町で新調された地車と云えども、多くの思い出を与えてくれ地車であることには変わりなし。
中には、可愛い我が娘を嫁がせる思いの方もおられたことでしょう。

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当時6歳の私 だん馬鹿さんにとっても、この地車こそが生まれて初めてこの目にした、『岸和田型』地車。
私の祖母が長承寺の出身で、購入した年の御披露目の日には、祖母の弟(通称:福さん)の誘いで見に行った記憶が・・・・。
その祖母も福さんも、今は天国へと旅立ちましたが、私にとっても少々御縁のある地車の一台。

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多くの方々が道の両脇に建ち並び、搬送車に積み込まれた地車は午前9時過ぎに、大森に向け長承寺をあとにしました。

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ほとんどの方が、地車の姿が見えなくなってしまっても、その場をあとにしなかったのが、とても印象に残りました。

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長承寺の町民は、来年から新たな地車で、新たな歴史の幕開け。
譲り受けた大森の方にとっても、新たな歴史のスタート。

新天地 大森の地で、この名地車が末永く無事曳行され続けることを願いながら、私も鳳をあとに神戸へ向かいました。
では、今日の『だんじり通信』はこのへんで・・・・(ペコっ)。

信濃屋お半だんじり通信
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