茶屋のだんぢり漫遊録

目次

ジャングルジム解体、引退前にその勇姿を現す・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

今年も残すところ、あと一日・・・・。
今日は朝から、津久野の実家でお餅つき。
とは言っても、臼と杵でペッタンペッタンという訳でもなく、三十数年前からは電動餅つき機くんが登場。
現在は、1991年製の餅つき君2号機が活躍。
年末のこの日だけ、年に一度のフル稼働大活躍!
お蔭で、おいしいきな粉餅を堪能、堪能・・・・。
7個をペロリと平らげ、持ち帰った分は私の夜食・・・(何個食うねん・・・笑)。

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毎年、必ずと言っていいほど、この日に我が家を訪れる腐れ縁の友人夫婦の襲撃も受け、あとかたずけが終わったのは午後6時。
これから、平成25年最後の『だんじり通信』の執筆・更新。
何時に終わるかは、私のさじ加減次第・・・・(笑)。

ほな、平成25年はこのへんで・・・・。
なんて訳にもいかず、本年最後の『だん通』の始まりでおます。

まずは、この写真を見ていただこう!

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どうです、本体の周りに「担い棒(肩背棒)」が施されていない、『擬宝珠勾欄堺型』の原型そのままの地車。

腰廻りには8本の柱、そのうち6本が通し柱で、土呂幕部分は上中下の三段構成。

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江戸末期から明治初期に、堺の地車大工の手により製作されたと考察できるもので、彫物(一部、?マークの付くものもありますが)、特に見送り三枚板は《堺彫又》の作と思しき、言わば「Made in Sakai」バリバリの一台。

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それも、ほぼ原形を留める、貴重な資料。

さて、この地車、このほど河内長野市三日市地区 上田から地車を譲り受けることが決定した柏原市安堂の地車

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「あれぇー」と思った方もおられるでしょうが、安堂の地車は平成7年頃に補強のため、地車本体の周りに鋼材を組み、ジャングルジムの中に地車が収まった状態でこの夏まで曳行されていました。

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上田から地車を譲り受けることが決まり、このジャングルジム地車も老朽化のため引退が決定
その前に、元の姿を町の方々にも再度目に焼き付けてもらおうと、去る12月1日(日)に鋼材の取り外し作業がおこなわれました。

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午前10時頃から作業開始。

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溶接バーナーを使い、徐々に鋼材が切り取られ、お昼すぎにはその全貌が姿を現しました。

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製作から百数十年以上の歳月を経て、老朽化。
これまでにも、幾度となく修理がおこなわれているでしょうが、担い棒が付け足された以外は、ほぼ新調当時のままの姿。

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固定はされているものの、突き出た軒先をたためるようにした「折屋根」もそのままの状態。

ならばいっそうのこと、「担い棒も外しちゃおう」と、錆びついたボルト・ナットや飴棒(ねじり棒)をバーナーで切断し、新調当時のままの姿が私の前に姿を現しました。

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私の生まれ育った堺市津久野の地で、子供の頃目にした宮山の先代(現尼崎市大官町)・下田町の先々代(消息不明)の修理される前の姿そのまま。
数ある『擬宝珠勾欄堺型』でも、担い棒の無いものは奈良県葛城市 勝根の地車を残すのみ。
その多くが、新調後に担い棒を後付されている場合が多く、私とて原型通りの姿を目にしたのはほんの数台・・・・。

それだけに、原型通りの目の前の姿は軌跡としか言いようがなく、地車発祥の地、堺出身の私としては感無量・・・・(涙)。

12月15日(日)には上田との売買契約が完了し、一週間後の22日(日)には、曳き納めはおこなわれなかったものの惜しまれつつ昇魂式が厳かにおこなわれました。

役員さんの中には、安全曳行ができる状態に修理を施し、曳行してくれる町がないものかと思っている方もおられますが、1月下旬には解体され、彫物などの部材は柏原市内の資料館に展示される予定とか。

その解体の日が、この地車の最後の勇姿になることでしょう。
願わくば、堺市役所のロビーや博物館にでも展示してほしいほどの文化的価値の高い逸品!

「良き理解者が現れないかなぁー」なんてことを思いながら、今年最後の『だんじり通信』は、これまで・・・・。

平成25年もお付き合いいただき、ありがとうございました。
来る年が、皆様にとって輝かしい一年でありますように・・・・。


ほな、失礼します・・・・(ペコっ)。

信濃屋お半だんじり通信
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