茶屋のだんぢり漫遊録

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河南町平石地車、山里をあとに・・・・

どもぉー、だん馬鹿です!

昨日は、所用のため朝から奈良県御所市へ・・・・。

そのために、《植山工務店》での修理を終えて町内に搬入された泉大津市濱八町 上之町地車や、それと入れ替わりに修理のため搬入された高石市匠(八区)の地車も見に行くことはできず・・・・。

この季節、なかなか地車を見る機会も少なく、「久しぶりに地車見に行こかい!」と思っていただけに残念無念。

ただ、昨日のような時折小雨が降る天気では、地車も雨合羽を身にまとっているだけに、行ったとしてもその姿を目の当たりにすることは叶わなかったのかも知れませんが・・・・。

所用を終え、午前中は調査を兼ねて御所周辺の神社巡りで時間をつぶし、午後からは河南町平石の地車が修理のために《大下工務店》に搬入されるとのことで、現地を訪れてきました。

午前9時頃から、修理の無事完了を祈願して神事がおこなわれたそうで、工務店への搬出作業は午後1時から。

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御所周辺での徘徊を終え、現地に到着した頃には、《大下工務店》の搬送車が到着し、地車小屋から搬送車のところまで地車を移動しているところ。

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搬送車のところで、屋根を手際よく取り外し、屋根はトラックの荷台に載せられました。

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そのあと、搬送車に積み込まれた地車は、多くの地車関係者に見送られ、山里 平石の地をあとに岸和田に向かって旅立って行きました。

さて、平石の地車は、我々地車・地車彫刻研究者も頭をひねる一台に数えられています。

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形態は、南河内地域特有の『石川型』地車
土呂幕・見送り部分には彫物が施されていない『幕式』の地車で、4mを越える背の高さ、『にわか芝居』を演じるための大きく張り出した舞台、八本の通し柱とそれを補うように添え柱が施されているのも特徴のひとつ・・・・。

おそらく、富田林の《新堂大工組》の流れを汲む大工の手により製作されたものと考えられていますが、新調した町名や製作年も定かではありません。
平石へは、明治期に富田林市美具久留御魂神社の氏地の一村から購入したものと伝わっているようです。

また、彫物の作風も独特のもので、『石川型』地車に多い、《彫又》や《小松》一門のノミ跡とは全く異なっているようにも思われます。

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残念ながら、これまでに彫物師の銘も発見されておらず、未だに誰が彫った作品なのかもわからないまま・・・・。

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平成3年には、《植山工務店》で屋形一式を入れ替える大修理がおこなわれていますが、大修理から二十数年の歳月を経て修理(改修)されることに。
今回は《大下工務店》で、柱を交換し背を高くするとともに、錺金物も新調される予定であるとか・・・・。

今年は、平石の他にも河南町芹生谷、富田林市中佐備北大伴の4台の『石川型』地車が、現在修理中。
芹生谷や中佐備は、3月中には修理を終え、町内に搬入される予定。
今秋には、装いも新たになった地車が我々の目を楽しませてくれることでしょう・・・・。

では、今日の『だん通』はこのへんで、失礼します・・・・(ペコっ)。

信濃屋お半だんじり通信
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