華麗なフィギュアスケートと、悲運な舞い・・・・?
どもぉー、だん馬鹿です!
皆さ~ん、連日深夜まで及ぶソチ冬季五輪のテレビ観戦、お疲れ様ぁ-!
そういう、私も眠い目をこすりながら睡魔との戦い・・・・。
昨夜は、金メダル候補、女子フィギュアスケートの浅田真央ちゃんが登場。
銀盤の上を舞う、華麗な姿を見ようと思ったのですが、登場するのは午前4時30分頃とのことで、観戦を断念・・・・。

私の応援が届かなかったのか、昨晩のSPは転倒のアクシデント・ミスもあり、残念ながら16位。
昔から、「五輪には魔物がいる」と言われますが、真央ちゃんの転倒やミスも、この魔物の仕業・・・・?
SPを終えての16位では、メダルの可能性も絶望的・・・・。
今夜は、フリーの演技。
上位選手に魔物がイタズラ心を抱くことに期待しながら、キレイなお姉ちゃん達が織りなす氷上の華麗な舞いを見てみようと思う今日のだん馬鹿さんなのです。
さて、氷上の華麗な舞いが「フィギュアスケート」ならば、我々地車ファンが愛して止まない地車彫刻にも華麗な舞い姿が彫られているのを御存知でしょうか・・・・。
特に、『源平合戦』からの題材を主とした彫物構成の『岸和田型』地車の「枡合い」などによく見られます。
そう、こう書けば地車彫刻ファンなら誰しもが、『静御前』を思い浮かべることでしょう。
ピンポォ~ン、大正解の御名答・・・・(金メダル、金メダル・・・・笑)。

地車彫刻では、『静の舞』などと称され、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮で、源頼朝や北条政子の前で舞を舞う姿が彫られています。

この静御前は、源平合戦には無くてはならない武将 源義経の妾(愛人)。
静の母は『磯禅師』という白拍子(女性が男装をして舞を舞う・・・いわゆる高級娼婦)の祖とされる人物。
彼女もまた白拍子であったのだが、日照りが続いたある年のこと、日照りに困り果てた後白河法皇は見目麗しい100人の白拍子を集め、「雨乞いの舞」を踊らせた。
99人までは何ら効果がなかったが、100人目の静御前が舞うとたちまち雨雲が現れ、三日間も雨が降り続いたという。
そのため、静御前は法皇から「日本一の白拍子」の言葉を賜った。
ちなみに、その時に静御前を気に入り妾にしたのが源義経、その人なのだとか。
一の谷、屋島、壇ノ浦合戦と、戦功目まぐるしかった義経であったが、兄 頼朝と対立。
京の都を落ち、頼朝の追手から逃れる身になった義経の元には、源有綱・堀景光・武蔵坊弁慶、そして妾の静御前が付き従うだけ。
一行は奈良吉野山に潜伏するが、静が今後の足手まといになることを悟った義経は、静に都へ戻ることを命じる。
涙ながらに別れを告げた静ではあったが、吉野山からの下山途中に追手に捕まり、吉野山の勝手神社で舞いを舞わされ、「日本一の白拍子」静御前であることが露見。

捕えられた静は、義経の行方を訊問されるが一向に口を割らず、鎌倉の頼朝の元に送られ、源氏の氏神である鶴岡八幡宮の奉納舞をするように命じられる。
これも、義経の妾、夫の行方を隠す重要参考人という立場ですらなく、頼朝の妻 北条政子からの「日本一の白拍子」の舞が見たいという、むしろ身分の低い白拍子(娼婦)としての屈辱的なもの。
頼朝は、静御前に鎌倉(頼朝)を愛でるような舞いを舞うように要求するのだが、奉納舞の当日は「日本一の静御前が舞う」ということで大勢の観客が詰め掛け、静御前は「静と申す白拍子にて候」と自らを「白拍子」と名乗り、『吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき しづやしづ賤のをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな』と頼朝の意に反し、義経を恋慕う歌を詠み、舞いを舞う。

日頃は冷静な頼朝も、これには大激怒。
しかし、妻 政子になだめられ事なきを得たが、その後も静には涙を流さずにはいられない苦難の出来事が・・・・。
その話を書くと長くなってしまうので、それはまたの機会に置いといて、その後、静御前は彼女を憐れんだ政子から多くの重宝を持たされ、京に帰されたのだが、消息は不明。
義経の後を追い奥州に向かう途中に命を絶ったなど、静御前にまつわる伝承は、各地に残っているようである。
愛しき義経は、皆さんも御承知の通り、奥州衣川で露と消えるのですが、義経と静御前の悲話は800年以上の歳月を経た今日までも伝えられています。
今夜、ソチ五輪では女子フィギュアスケートの華麗な氷上での舞が披露されることでしょう。
浅田真央ちゃんをはじめ、日本選手の活躍に期待しながら、今日の『だん通』はこれでオシマイ・・・・。
静御前のような、悲しき舞いにならぬことを願いながら・・・・(なんのこっちゃ)。
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