茶屋のだんぢり漫遊録

目次

海老江西之町だんじり修復から色々思う…

少しずつブログの更新率を上げてきましたョ!

信濃屋でございます。
m(_ _)m



ワタクシ、このブログを引き継いだ当時から、ワタクシ自身を『どっかから購入された中古だんじり』に例えて、ブログの現状を『ちゃんと曳けるようにするための整備中』と表現してきました。


そしてこの程、ようやく『中古だんじり』の整備も整い、これから晴れて『試験曳き』を迎えられるに至りました!
(o^∀^o)

ありがとうござんす!
m(_ _)m



さぁてそんな『試験曳き』のブログは4月6日(日)に行われました、大阪市福島区・海老江西之町の修理完成に伴う入魂式の話題から・・・




海老江西之町のだんじりは、今年に入ってすぐ植山工務店に修理に入り、担い棒(大阪市内では『肩背棒』または『肩背』と呼びます)の交換などを行い、3月16日(日)に搬入されました。


そして4月6日(日)、午前中から入魂式が行われ・・・

まぁ…、入魂式と言っても大掛かりな祝賀行事ではなく、拝殿前で清祓いをするだけの簡単なもので、その後の曳行も、お披露目曳行ではなく、あくまでも『試験曳き』という名目でした。


大修理ではないし、舵取りに必要な『肩背』の交換に伴い、実際にだんじりを動かしてみるという意味では、『試験曳き』が適切ですね。




当日は午後から本格的に出発し、西之町の地域を回りました。

途中、咲き誇る桜をバックに集合写真。


4月初旬にだんじりを曳く、これぞ正に醍醐味!



そして夕方には祭礼と同様の宮入り!


拝殿前で、名物の『担ぎ上げ』を何度も披露します。



海老江における、だんじりの担ぎ上げに関する記述は、当サイトの姉妹サイトである、『eo だんじり Special Edition』の方のブログには書きました。

いずれまたこちらのブログでも、海老江の勇壮な担ぎ上げについては、熱く語らしてもらいたいと思っております。



今回こちらのブログでは、この海老江西之町の修理から、色々な考察を巡らせたので、そちらを思いつくままにつらつらと書き並べてゆきます。




この海老江西之町のだんじりには古文書が残されていて、それにより、安政二年(1855年)の作である事が判明し、平成17年(2005年)に、『150周年記念祭』が行われております。


それまで、福島区・海老江のだんじりと言えば、大阪市内では『担ぎ上げのだんじり』としてその名は知られていましたが、広くだんじり界全体に知られている訳ではありませんでした。


ネットによる情報網が普及していた平成17年の、この『150周年記念祭』は、数多くのだんじりサイトや、当時創刊間もない『上地車新報』などでも大きく報じられ、『海老江』の名前がだんじり界全体にも広く知られるキッカケとなりました。




この、海老江にある3台のだんじりはかつて、3台とも製作大工が不明とされていました。

また、3台とも形や組み方に似通った部分がある事から、製作年代は幕末から明治初期とされ、大工も同一か、もしくは同じ一門ではないか?・・・という見立てが一般的でありました。


ワタクシ個人が、その大工として有力視していたのが、かつて幕末から明治にかけて、
『だんじり吉兵衛さん』
の異名を取った、
『柳吉兵衛』…
その人でありました。


今現在、天満にただ一台残る、大阪天満宮の『三ッ屋根だんじり』は、嘉永5年の製作とされ(6年やったかな?)、その大工も、『だんじり吉兵衛』こと、柳吉兵衛であるとされています。

この天満の三ッ屋根だんじりを後ろから見た姿と、海老江南之町のだんじりを後ろから見た姿の、屋根から柱にかけてのシルエットが非常に似ており、


海老江の3台も、幕末から明治初期にかけて数多く製作された『天満型』のだんじりに分類されるなら、海老江の3台も、柳吉兵衛の作ではないか?・・・

というのが、あくまでワタクシ個人の見立てでありました。



しかし、西之町に残された古文書によると、西之町の製作大工は、
『三木屋』
という屋号の卯兵衛という大工であります。

この『三木屋』の場所は『大坂松江橋南詰』とあり、その『松江橋』とは、今の大坂のどこなのか?…

中之島あたりにその橋があっても良さそうなのですが、残念ながら、中之島はおろか、大阪中どこを探しても、『松江橋』はありません。

地名にも残っていない。



この時点で、海老江のだんじりについての考察は、暗礁であります。

もしかしたら、3台とも大工が異なる可能性も?・・・




話は変わって、西之町の彫師については、相野徳兵衛を主に、かまや佐兵衛、池田九兵衛などの名があります。



三枚板の『三国志』より、張飛、関羽は、我々の目を惹く一級品。



また正面車板の『大蛇退治』も、見応えある作品です。


また『獅噛み』に目を移すと、正面の獅噛みと、後ろの二面の獅噛みでは、顔つきが微妙に違うのも見て取れます。



果たして三面とも相野徳兵衛の作か、他者の手によるものなのか…?


彫物的にも、非常に興味深いだんじりであります。




いずれにしても、海老江のだんじりに関するお話は、今後も色々と調査を重ね、定期的に書いてゆくつもりです。


また現在、南之町も植山工務店にて修理中

こちらは解体しての大修理です。


5月後半には搬入、そして入魂式が行われると聞いています。

また情報が確定すれば、こちらのサイトでもお知らせ致しますので…。





今回のブログは正に『試験曳き』でしたね…

なんか何度も電柱や軒先に当たってしまった感があります…。



気づけば長文になりました。

今回は、この辺で…
m(_ _)m

 
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