河内長野に新しいだんじりが、その名も…!
さぁさぁ、いよいよゴールデンウイークも後半戦。
本格的なだんじりシーズンを迎えております。
今日から神戸市は灘区、兵庫区、明日以降は東灘区で、『だんじり祭』の開幕です!

当サイトの情報を参考に、是非『神戸だんじり祭』にお出かけ下さい。
さぁて、今回のブログは、ちょっと『謎』を含んだお話から・・・
昨年11月、大阪狭山市の池之原が、だんじり新調に伴い先代だんじりの昇魂式を行いました。

そのだんじりの嫁ぎ先となったのが、河内長野市の『鳴尾』という地域。
そう、『鳴尾』と書いて、『どんど』と読むのです。
浅学なワタクシ、さすがに河内長野にそんな地名は聞いた事がないぞと思い、地図で調べてみたのですが…
河内長野市の地図に、『鳴尾』と書いて『どんど』という地名は載ってないのです。
そこでネットで検索してみると・・・
ありました!
『鳴尾自治会館』
住所で言うと河内長野市木戸2丁目とあります。
つまり、木戸の中の『字(あざ)』なのですな。
この『どんど』という読み方についてちょっと調べてみたのですが、その名前の由来とか、なぜ『鳴尾』を『どんど』と読むのか、その謎を解き明かす鍵は、見つける事が出来ませんでした。
またいずれ調査すべし・・・
さてこの『鳴尾』へやってきた、大阪狭山市は池之原の先代だんじり…
入魂式は、3月30日(日)に済ませております。
が…!
その日は入魂式だけで、お披露目曳行は行われていなかったのです。
とゆー訳で、4月27日(日)
あの大雨だった入魂式の日とは打って変わって、心地よい日差しの晴天に恵まれ、『鳴尾』のだんじりのお披露目曳行が行われました。
このだんじり・・・

製作年代は幕末から明治の初期と思われ、堺の地車大工によって製作されたもののようです。
大正15年に、現在の奈良県・大和高田市から池之原が購入したもので、元は堺のだんじりだったのでしょう。
昭和61年に、岸和田の『植山工務店』にて大修理を経験しています。

このだんじりは、造りとしては簡素な部類であります。

それでも、この獅噛みはあっさりながらもなかなかの顔つき。
懸魚も悪くない。
三枚板とてなかなかの味があります。

派手さはないものの、あっさりと姿見の良いだんじりだと言えるでしょう。
元々は堺のどこで曳かれていただんじりであるかは、これから調査の対象ですが、おそらく明治29年(1896年)に起こった『堺だんじり騒動』以降、堺から流出したものでしょう。

大和高田を経て、池之原で長らく活躍したのち、昨年、『鳴尾』へとやって来ました。
それまで『鳴尾』にはだんじりは無く、御輿を台車に載せて宮入り、奉納するのみだったそうで、『鳴尾』の自治会としてだんじりを持つのはこれが初めて。
ようやく迎えたお披露目曳行は、地域の人たちでだんじりを上手く扱えるか、坂道を登れるか?
それらを試す意味もあったようです。

午前10時の予定より少し早く動き出しただんじりは、まず自治会館へ。
その後、村の神社として小さな祠が残る『鳴尾神社』の前で自治会長の挨拶があり、御神酒で献杯。
いよいよ本格的なお披露目曳行のスタートです。

小さな子供からお年寄りまで、地域が一体となってだんじりの綱を握り、舵を取っていきます。
山あいの小さな村に、だんじりの鳴物が響き渡ります。

のどかな中にも真剣。
お披露目曳行は終始そんな感じで、無事に終了しました。
このだんじりが、これからますます鳴尾の地域の人達のつながりを強固にし、だんじり祭が永く続きますよう、願っております。
鳴尾の皆さん、この度はおめでとうございます。

ちなみに、5月18日(日)には、河内長野市制60周年の記念行事で、だんじりの祝賀パレードが行われます。
市内24台のだんじりが市役所前に集合したのち、パレードを行うのですが、この鳴尾のだんじりは、残念ながら参加しない ・・・という事です。
また秋祭には見れますので、一度覗いてみるのもいかがですか?
今回のブログはあっさり風に、この辺で失礼します。
では皆さん、だんじりシーズン真っ只中、お楽しみ下さい~!
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