茶屋のだんぢり漫遊録

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34年ぶり!…猪飼野だんじり、大改修

大阪市生野区・・・

ここには15台のだんじりが現存していて、その内14台が現役で曳かれているという、その数は大阪市内でも最多であります。

またそれらの多くは旧の村名を名乗っていて、現在の生野区の地図を見ても載っていない地名ばかりです。

今回ご紹介する『猪飼野』のだんじりも、そんな一つ。



現住所で言うと生野区の桃谷3丁目~5丁目あたりの地域で、氏神は御幸森天神宮。だんじり小屋は神社の境内にあります。



そんな猪飼野のだんじりは、明治20年頃に地元の大工・永田熊次郎により製作された、『大阪型』で三枚式の幕だんじり

永田熊次郎は地元・猪飼野の大工で、《大熊(だいくま)》の異名を取り、近隣の村に数台のだんじりを残しています。
現存しているものとしては、隣村の『勝五』や、『岡』の初代だんじりで現在の尼崎市西櫻木などがあります。


特徴的なのはその屋形にあり、大波を打ってせり上がるの破風の形の美しさと、棟の広さが特徴。


特にこの猪飼野のだんじりは、地元の村のために熊次郎が精魂こめて作事しただんじりと言われ、幕だんじりながら、その用材は当時手に入る最高級の欅材を使用したそうです。

その時に残った用材で製作されたのが、隣村・勝五のだんじりであると言われています。

三枚式の幕だんじりとは、舞台側に加えて見送り三枚板部分と土呂幕にも幕を張る形式のだんじりで、のちのち三枚板や土呂幕に彫物を施すようになる前の形式で、かつては城東区の鴫野にも残っていました。



さでこの猪飼野のだんじり、今回は岸和田の大下工務店にて大改修が施される事になり、11月2日(日)に昇魂式と搬入が行われたのですが・・・


実はこうして工務店に搬入されての大改修は、今回が初めてになります。

さらに言うなら、これまで幾度かの修理は経験しているものの、修理のために猪飼野を離れる事そのものが、初めての事であると言えます。



と言うのも、猪飼野にはこのだんじりをずっと見守り、事あるごとに修理を担当してきた地元の大工がおられました。

その人は、同じ生野区の西足代や中川の先代だんじりを製作した《大重》伊川重松の弟子、《大浅》の異名を取った岡田浅三であり、昭和56年には猪飼野のだんじりの大修理も担当しています。



もともと伊川重松が、《大熊》永田熊次郎の弟子であることから、岡田浅三は《大熊》の孫弟子に当たります。
また生粋の猪飼野人で、猪飼野のだんじり曳行中は、常にだんじりの側に寄り添っていました。



やがて岡田浅三は平成20年に永眠。
生涯猪飼野人を貫き通し、葬儀出棺の時には、猪飼野のだんじりに見送られて旅立ちました。

こうして猪飼野のだんじりは、ずっと地元の大工に見守られてきたのですが、その役目を担ってくれる人が不在となったことで、今回初めて、猪飼野を離れての改修となったのです。



11月2日(日)当日は、『さよなら曳行』という垂れ幕を掲げて朝から村中を曳行。

曳行の締めくくりはやっぱりコレ!
猪飼野名物、宮前での担ぎ上げ!



再び神社に戻り、昇魂式。


大修理や大改修に伴う式典は『抜魂式』と称されることが多いのですが、猪飼野では『昇魂式』となっていました。

やがてすべての飾りを外し、トラックに積み込み。


こうしてだんじりをトラックに載せるのも猪飼野にとっては珍しいことで、昭和60年の御堂筋パレードや平成2年の花博以来かも知れません。


来年5月、猪飼野のだんじりはどのように生まれ変わって、この地に戻って来るのでしょうか?

今から楽しみですね!



では今回は、ここまで~!

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