茶屋のだんぢり漫遊録

目次

奄美で被災のだんじりを救え!…~ボランティアの戦い~


当サイトの『行事暦』にも情報としてお知らせしていますが・・・


大東市の歴史民族資料館にて、

  『だんじりの彫物
 小松源助から探る』


と題した展示会が行われています。

 



この展示会の主役となっているのは、実はちょっと『ワケあり』のだんじりなのです。

長くなるので、何回かに分けて述べて行きたいと思います。



で、その『ワケあり』のだんじりとは?・・・





古くからのだんじりフリークの方ならご存知でしょうか?

昔、豊中市の服部緑地内のサボテン公園に、かつて吹田市の南町で曳かれていた、北河内型の巨大なだんじりが展示されていた事を・・・

そのだんじりは当時、『服部農芸博物館』の所有物として、保存・展示されていたんです。





当時ワタクシ、弱冠10代(マジです)。

だんじりフリークとしてまだ日も浅かったワタクシ、そのだんじりの事は頭の片隅には置いときながらも、ついに見に行くには至らぬまま時は流れ・・・


やがて『服部農芸博物館』は、昭和63年に鹿児島県の奄美大島に移転し、服部緑地内に残されていただんじりも平成4年には奄美大島へと渡り、博物館も『原野農芸博物館』と名を変えました。


後々、ワタクシも様々なだんじりに興味を持ち始め、あれこれ見聞を深めようとした時には、もうそのだんじりは遥か遠く、鹿児島の南の島へと旅立ってしまった後でした。

あぁ~、あの時に興味を持って見に行ってればなぁ・・・な~んて悔やんでも後の祭り。

奄美大島なんて、ちょっとホイホイと行けるような場所ではございません。





それからまた時は流れ、平成22年10月。



鹿児島県を襲った集中豪雨によって、奄美大島の『原野農芸博物館』の裏山が崩れ、大規模な土石流が発生。
土石流は農芸博物館をも呑み込み、だんじりも被災。

だんじり本体は博物館に流れ込んで来た土砂で大破し、腰から下は土砂に埋もれてしまうという有様でした。


この被災した博物館を、『文化財レスキュー』という名のボランティアによって、土砂の撤去や展示物の回収、クリーニングといった作業が行われ、現在は博物館も復興しました。
しかし、だんじり本体の復興はそう簡単に実現しません。

その『文化財レスキュー』に、関西からは京都造形芸術大学の学生さん達も参加し、その人達が大破しただんじりの部材や彫物を回収し、自分達の手でクリーニングを施したのだそうです。


そのだんじりの彫物というのが・・・


明治の頃、大阪の本町に居を構えていた名門《小松》一門の八代目・小松福太郎、のちの小松源助の作品なのであります。




そして、このだんじりと大東市との接点はと言うと、大東市の北条辻之町や北条中之町のだんじりが、同じく八代目・小松源助の作品であることがキッカケとなり・・・



特に北条中之町のだんじりは、この農芸博物館所有のだんじりと、彫物の図柄や配置が共通しているとの事で、大東市でだんじりの彫物の調査をしていた市民学芸員の方々と、京都造形芸術大学の学生さん達との接点が生まれ、今回こうして展示会の実現となったのであります。


ふぅ~!(ため息)


いきさつの説明だけで、こんなに長くなっちゃった・・・



さらに詳しいお話はまた次回にスペースを設けますが、本日より始まったこの展示会

  『だんじりの彫物
   小松源助から探る』


は、今月いっぱい大東市の歴史民族資料館にて開催されています。

奄美大島にて被災しただんじりの彫物が、京都造形芸術大学の学生さん達の手によりクリーニングされた状態で展示されてあります。

展示物の写真撮影が禁止なので、その展示されている風景の写真は残念ながらありませんが・・・


まぁ!…足を運んで見る価値は十分にあります!



元来、大振りな北河内型(讃良型)
のだんじりは、その彫物も大きく迫力がありますが、それらの中でも横綱級と言っても過言ではないでしょうね。


実は今月11日(水)には、この一連の事業を報告するフォーラムが開催されるのですが、申し込みが必要な上に、もうすでに枠がいっぱいという事で、残念ながら皆さんにフォーラム参加を呼びかけることが出来ません。




ええ…、まぁ~、実はワタクシは申し込めたんですがね・・・

その時にはもういっぱいで・・・ハイ。



なので、そのご報告も兼ねて、次回またこのだんじりについて述べさせて頂きますので、こうご期待!

それじゃ~今回はここまで!

さらばぢゃ~!

信濃屋お半悠遊!だんじり録
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