『だんじり街道』に興味津々!
信濃屋ですよ・・・(わかっとるっちゅーねん!)
今の時期のように『時事ネタ』がない時こそ、雑感的なことを書き綴ろうと思うんですが・・・
ブログと言うよりコラム的なね・・・
姉妹サイトの『だんじりeo SE』の方では、不定期連載シリーズの『だんじり時間旅行』を展開中。

だんじりに関する色んな歴史が好きなワタクシにとっては、昔のことを掘り下げるのは大好き。
『昔を知ると今につながる』を合言葉に(してないけど…)、歴史を紐解くシリーズを、こういう時事ネタのない時にやっております。

こちらモバイルサイトのブログ、略して『モバブロ』の方では、過去に『シリーズ神社仏閣』をやったことがあります。

これはまた新たな神社仏閣に出会えば復活するし、実は近々そういう予定もあるのですが、まだ今はナッシング。
チュー訳で妄想に浸っておるのですが・・・
最近ワタクシ、『街道』にハマってるんですよ!
だんじり的に有名なところではやっぱり『紀州街道』ですかね?

アタシゃ~子供の頃からテレビで『岸和田だんじり祭』の番組を見るのが楽しみだったんですが、番組内で堺町の『S字』や北町の『貝源小角』の紹介がされると(あの頃はまだ『貝源』なんて言うてなかったけど…)、決まって『紀州街道』に触れて説明されるんですよ。
『昔、紀州のお殿様が参勤交代に通られた由緒ある道…云々…』

そんな訳で、アタシの脳裏には子供の頃から『街道』という言葉が擦り込まれたのです。
そして、『街道』と『だんじり』は切っても切れない関係にあることに気づくまで、そう長い時間は必要なかった。
つまり、だんじりある所には必ずと言って良い程(絶対ではないけど)『街道』が寄り添い、だんじり祭はしばしば、『街道』を舞台に繰り広げられるのです。

つまり『街道』とは・・・
今で言う『国道』みたいなもので・・・
現代のように車がビュンビュン走る時代ではなかった頃、人々の移動手段と言えばもっぱら『徒歩』の時代。
時代劇なんか見てるとお侍さんが馬を飛ばし、お金持ちの娘さんが『籠』に乗ったりしてますけど、あんなのはごく一部の限られた人たちのみで、一般的にはひたすら『歩く』しかなかった時代・・・

そんな時代の『街道』とは、主に遠い距離の町と町を結び、多くの人や物資が行き交う交通の主要幹線道路でありました。
街から街へと移動する人はみな、この『街道』を歩きます。
すると、街道沿いには人や物資の往来があり、そこには商売が成り立ち、人の営みが形成され、やがてそれが『町』へと発展します。

『町』には人と人とのコミュニティがあり、そこから文化が生まれます。
文化の発展あるところ、『祭』も発展します。
そんな訳で、街道沿いには数多くのだんじりが存在するのです。

さらに!
現在だんじりのある地域を色々見てみると、たいてい地域の主要部を何らかの『街道』が走っており、こりゃ街道沿いを端から端まで辿って行くと、色んなだんじりに出会えてオモロイなぁ・・・てな事に気付いたのです。

つまり、そんだけ数多くの『街道』があるって事なんですね!
ちゅー訳で・・・
旅に出ましょうよ!
『街道めぐり』の旅に・・・

名の知れたメジャーな街道から、誰も知らないような『え?この道が街道やったん?』的な隠れた街道まで、色々あるんですよ〜!
しかも辿ってみると、だんじりだけじゃなくて、色んな歴史に出会えるんですよ〜!
もうすぐ春ですからね、暖かくなる時期に合わせて、『だんじり街道』のシリーズ、始めてみようかな〜?
・・・なんて、思っております。

お楽しみに!
では今回はここまで〜!
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