茶屋のだんぢり漫遊録

目次

シリーズ『だんじり街道』② 〜桑津玉造街道をゆく⑵

前回から始まったシリーズ『だんじり街道』の第2回目です。

大阪市東住吉区の長居公園通から、大阪城の玉造口までを結ぶ『桑津玉造街道』を辿っております。



前回は東住吉区の桑津で、環濠集落について触れました。


今回の旅は桑津を出発してさらに北へと進んで行きましょう!




桑津天神社と環濠集落跡地の間を北へ抜け、東西に走る大通りを渡り、JR大和路線の下をくぐると、国道25号線から独立した『龍田越え奈良街道』と接します。



この奈良街道は、そのほとんどが国道25号線となっているのですが、ほんの僅かな区間だけこうして旧道が残されています。

ワタクシの進んできた『桑津玉造街道』は、この奈良街道と接するまでは分かるのですが、交差していたのか、一旦合流してまた分岐するのかは、旧道が消え去っているので判明しません。

区画整理されたエリアのどこかを通って、ここに繋がっていることは間違いないのです。



そう、ここは生野八坂神社。
さっきの奈良街道からこの生野八坂神社までの間、もしかしたらここを街道が通っていたのではないかと思われるのが、この『成恩寺』です。



現在四ツ辻に面しているのですが、山門が南東を向いており、もしかしたら街道はこの山門の前を南西から北東へ斜めに通っていたかも知れません。

いずれにせよ、ここからは『だんじりの町』生野区です。

生野八坂神社から北へ進むと、生野神社です。


『旧・生野村』と呼ばれるこの地域は、生野区の地名の由来となった地域です。

今現在は両神社とも『宮附』だんじりがあり、祭礼時に曳行されていますが、かつてはどちらも40年以上にわたり、だんじり祭が途絶えていた地域。

生野八坂神社では昨年、『地車復興10周年』を迎えました。



生野神社では今年、復活から5年間活躍しただんじりに別れを告げ、堺市は鳳地区の、野田の先代だんじりを購入しました。


4月にはそのだんじりがこの生野神社へ搬入され、7月に入魂式とお披露目が予定されています。




生野神社の北側にあるのが、『舎利寺村』の地名の由来となった『舎利尊勝寺』。



その北側の、散髪屋さんのある四ツ辻から、『俊徳街道』が合流して来ます。



『俊徳街道』は四天王寺南門を起点とし、東大阪の若江鏡神社まで続いている街道で、これもまた『だんじり街道』であります。

そのまま北へ進むと、『岡』の村へと入り、勝山の地名の由来となった『御勝山古墳』があります。



この古墳の東側で『俊徳街道』は東へと向きを変えますが、『桑津玉造街道』はそのまま北へと進み、現在は弥栄神社の御旅所となっている『茨稲荷神社』、別名『御舘神社跡地』に至ります。



ここには『岡』のだんじりが。



こちらも40年間の空白から脱し、平成にだんじりを復活させた地域です。

東住吉区から生野区へ入り、俄然『街道』としての雰囲気が増してきました。

この界隈は道が緩やかにカーブしていて、旧街道に面して人の営みが栄えた歴史を今に伝えています。

このまま北へと進むと、次に見えてくるのが弥栄神社



鶴橋のだんじり小屋が境内にあります。

現在鶴橋のだんじりとして曳行されているのが、先ほど通った『岡』の先々代にあたるだんじり。



今から50年ほど前、『岡』がだんじりを手放す際に、この街道を曳かれてこの神社に入り、鶴橋の先代だんじりと2台並べて写真に収められています。


弥栄神社からさらに北へ進むと、鶴橋商店街のアーケードが見えてくるのですが・・・


実はこの街道、元々は『玉造』も『田辺』も付かず、『桑津街道』と言うのが正式な呼び名であると、前回お話しました。

この『桑津街道』は、ここで西に向きを変えるとなっていますが、古代の旧道が角で直角に曲がるとは考えにくいので、もう少し手前で自然にカーブしていたんじゃないでしょうか?



この写真の右側に見える道路は今から35年ほど前に開通したもので、その前は土手地であり、土手の上側をカーブしながら通っている道があったので、もしかしたらそれが旧街道であったかも知れません。



いずれにせよ、ここからJR大阪環状線を西に越えた先にあるのが、この街道の本来の起点となる『細工谷』です。



元来この街道は、仁徳天皇が桑津に住まわせていた『髪長姫』に会うために、高津宮から桑津までを『通い婚』した道であり、そのために『桑津街道』と呼ぶのだそうです。



その『髪長姫』の御霊は桑津の東にあった八幡宮に祀られていましたが、現在は桑津天神社に祀られており、また『岡』の御舘神社は仁徳天皇を祭神としてあり、現在は弥栄神社に合祀されてあります。

桑津から田辺までの区間と、これから先に進む大阪城までの区間は、後から追加されたものなのですね。

とゆー訳で、『桑津玉造街道』の旅も残すところあと少し!


鶴橋商店街は近鉄線の近辺で『鶴橋卸売市場』として賑いを見せ、近鉄線を北へ抜けると東成区に入っています。



街道からは逸れますが、ここは東小橋村と言い、氏神は『比売許曽神社』。



東小橋のだんじりがあります。



一応、東住吉区から辿ってきたこの街道に面して存在しているだんじりは、ここは東小橋が最終です。

街道はここから日の出通り商店街に入り、真田山の東側を抜けます。



ここはかつて、大坂冬の陣に於いて、真田幸村が出城(砦のようなもの)を築いて徳川勢を迎え撃った場所とされており、近くの三光神社には、今も『真田の抜け穴』が残されています。

やがて街道は日の出通りを抜け、玉造温泉の西側を通り、大阪城の玉造口へと到達です。

いや〜、ちょっと長かったですが、2回にわたって『だんじり街道』を辿って来ました!


またの機会に、また違う街道を辿ってみたいと思います。

それは紀州街道なのか?・・・


いや、その時のお楽しみ。

では今回はここまで。

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