茶屋のだんぢり漫遊録

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だんじりへと変わる木・・・原木を製材する

昨年の12月、泉佐野市にある《板谷工務店》に、新調だんじり用の大きな原木が搬入される様子をこのブログにてお伝えしたと思います。



その時にはまだ、どこの新調だんじりに使用するための原木かは、発表しませんでした。

工務店としては、どのだんじりに使用するかはある程度決めて原木を仕入れるのですが、後で変更が生じる場合もあり、確定するまでは発表を差し控えていたのですが・・・



もしかしたら勘の良い方は、ピーンと来ていたかも知れませんね。



はい、あの時の原木は、神戸市東灘区・住之江區の新調だんじりに使用するための原木でした。



この原木が、去る2月28日(土)に神戸市東灘区の本住吉神社へ運び込まれ、翌日3月1日(日)、同所にて『原木祭』が執り行われました。




昭和の終わり頃から火がついた『だんじり新調ブーム』は、平成に入ってから本格化し、当初は堺市内を中心に泉州一帯へと広がりを見せたのですが、今やここ兵庫県にも波及しています。




だんじりが新調されるに伴い、その『原木祭』も盛んに行われるようになりましたが、泉州などの古い人の話によると、
『昔はこんな儀式なかったけどなー』
という言葉をよく耳にします。

そう、おそらく新調だんじりの原木祭が行われるようにはなったのは、この平成に入ってからなのでしょうね。



実はこの『原木祭』の由来を、ワタクシ自身は詳しく存じ上げておりませんでね・・・

色々調べてみましたが、それらしい記述には行き当たらなかったので、ここからはワタクシの個人的見解なのですが・・・



個人が新しく家を新築するとき、その土地の『地鎮祭』は行われますが、わざわざ『原木祭』は行わないでしょう。

元はおそらく、神聖な神社仏閣の新築や改修に使用する原木を、製材する前にお祓いした事が始まりなんじゃないでしょうか?



もとより木には精霊が宿っており、その木を神社仏閣に使用するにあたり、木の精霊に許しを請い、邪気を祓う意味で行われたものとすれば、それはやはり自然と共生し、自然を生かしながら建築物を細工した『宮大工』『堂営大工』の発想だったと思うのです。



それが『だんじりの世界』で行われたのは、おそらく平成に入ってからで、今ではだんじりを無事に完成できるよう、祈願を込めて行われます。

明治や昭和に行われていたかどうかは不明ですが、あったとしても、極めて稀な例ではなかったかと・・・


この住之江區の原木祭に於いて挨拶に立たれた住吉学園理事長の中島様曰く、少なくとも神戸住吉では『原木祭』という儀式は初めてだという事でした。




さて、その原木・・・



3月3日(火)の朝から、《板谷工務店》にて、製材作業が行われました。




先だっての『原木祭』の日に、板谷始 棟梁から『手斧始の儀』、彫物を担当する《賢申堂》河合申仁 師より『彫刻始の儀』、さらに飾り金具を担当する《仁科旗金具製作所》仁科雅晴 師より『鏨始の儀』が執り行われ、この木にはすでに製作に携わる工匠たちの『最初の刃』が刻まれた木であります。


原木から用材へと姿を変える作業が、この製材です。


こういう作業は、製材所に運び込んで行う場合もありますが、工務店に広い敷地がある場合、製材の職人さんに来てもらって、こうして機材を設置して行われる事もあります。



この方が、棟梁の指定する寸法に設定してもらえるので、よりカスタマイズされた用材に仕上がるとのこと。


指定された高さに設定したレールの上を、刃が滑って行きます。



一回切り終わると、また次の高さに設定して再度刃を入れて行きます。




粉末状の『おが屑』が見る見るうちに降り積もって行きます。



それを指差して板谷棟梁曰く、
『同じ色の木屑ばっかりやろ?
という事は、内部に悪い部分がないっていう証拠やねん!』

内部に悪い部分があると、黒い木屑が出たりするそうで、それがなく、綺麗な色の木屑しか出ていないと。



つまり、きめ細かで色の揃った、上質の木である・・・という事なのだそうです。


ほぇぇ~~~・・・


ワタクシも午前中にて失礼したので、最後まで作業を見届けられなかったのですが、こうして製材された用材は、この後約2年間にわたり自然乾燥され、よりだんじりに適した用材となるため、長い眠りに就きます。




住之江區の新調だんじり完成は平成31年の春の予定

この用材が、果たしてどんなだんじりに生まれ変わるのか、今から楽しみですね!





では今回はここまで~!


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