茶屋のだんぢり漫遊録

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筋海町が一度は惚れ込んだ名地車

泉南郡熊取町七山・・・




ご存知の方も多いでしょう、泉州にその名を轟かす『名地車』です。


3月8日(日)の午前中、この七山のだんじりの見学会があるとの情報をいただき、行って参りました。

熊取方面で、ワタクシの顔は割れておりませんでね、ほぼ『お忍び』状態でシレ~ッと混じって、見学させてもらいました。



大正11年、岸和田市の筋海町が新調しただんじりで、大工は《久吾》久納久吉、幸三郎兄弟



彫師は開正藤が責任者となり、西本舟山、三代目黒田正勝、開生珉が脇を固め作事しただんじり。


筋海町では、前年にも地元の大工、《大若》高橋若左衛門の弟子で、森某(名前不詳)の手によりだんじりが新調されたが、それは筋海町で1度も曳かれる事なく熊取町の五門へと売却され、翌年に完成したこのだんじりが、筋海町のだんじりとして活躍するに至りました。


大屋根左右の枡合上部に唐破風の細工があり、これは久納兄弟の苦心の作。



しかし、新調からわずか2年後の大正13年には、諸事情によりここ七山に売却され、それ以降、このだんじりはここ七山にて活躍しています。


ワタクシも若かりし頃は、『泉州十月祭礼』の二日間は時間とルートを決めてあちこちの地区を見て回っており、当時、熊取は必須コースで、毎年どこかのタイミングでこのだんじりも見ていました。



だんじり本体をじっくり拝見したのは、平成8年の入魂式の時以来という事で、今回改めて見学させてもらって、また再発見なんかもあったりしてね・・・


播州淡路の名匠・開正藤は、跡目息子の生珉と共に大正の始め頃に岸和田に居を構え、大正6年に下野町の先代だんじりを作事。

筋海町で前年に新調しただんじりも責任者として作事しており、それと同時に、現在の熊取町・紺屋のだんじりも手掛けています。

さらにこのだんじりの後年に岸和田市中町のだんじりを作事し、昭和4年に岸和田市上町のだんじり新調と、大正から昭和の始めにかけて、泉州岸和田に於いて華々しい時代を駆け抜けた名匠。



また来岸するまでに、淡路島では数知れぬほどの作品を残しています。

この現・七山のだんじり作事の頃は、多忙に多忙を極めた中での作業だったことが伺えます。




このだんじりは、久納兄弟の苦心を重ねた大工仕事と、開親子の彫物とが合わさり、類い稀な名地車として知られていますが、今回ワタクシが注目したのは腰廻りの連子部分。





メインである土呂幕を邪魔しないながらも存在感を放つ大連子、小連子のバランス放つ目を引きます。





さらに小屋根見送り上部の虹梁など、目立たない箇所にこそ丁寧かつ繊細な細工が成されていて、これも見送りを邪魔しないように、控えめ且つ大胆な細工と言えるでしょう。



まとめると、名脇役によって主役が引き立つというか、そういう陰と陽のバランスが美しいと思えるだんじりでした。



素人臭い表現で申し訳ない・・・


今となってはなかなか祭礼日に足を運べなくなりましたので、こんな機会はとても貴重で、意義深い見学をさせて頂きました。



七山の皆さん、また主催された皆さん、ありがとうございました。

信濃屋お半悠遊!だんじり録
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