茶屋のだんぢり漫遊録

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この1台に注目してみた・・・守口市・下嶋だんじり

信濃屋です。


姉妹サイトの『だんじりeo SE』の方では、先日の5月10日(日)に行われた、

『第9回 守口市だんじり祭』のリポートをお届けしていますが・・・



<pre>http://danjiri-tsushin.blog.eonet.jp/</pre>
↑『悠遊!だんじり録 eo SE版』



こちらでは、その『守口市だんじり祭』に参加しただんじりの中から、ワタクシがちょっと注目した1台をピックアップしてお届けしたいと思います。



こちら!



守口市は八雲神社の氏地になります、
下嶋のだんじり!



この姿見を見て、ピーンと来る方、また何かしら『お?』と思われる方もあろうかと思います。




そう!見るからに古い年代のだんじりである事は、この姿見からも察しがつきます。


守口市に現存する13台のだんじりは『大阪型』が主流なのですが、中には『北河内型(讃良型)』、『板勾欄式住吉型』、さらに原形から遠ざかりましたが、『堺型』のだんじりもあります。






さてこの下嶋のだんじりも、形式では『大阪型』に分類されるのですが、現在数多く存在する『大阪型』よりも、さらにひと時代前の形式と言って良いだんじりでしょう。


まずその姿見を見れば一目瞭然!

軒先のテリを抑えた屋根の形に、獅噛みではなく鬼板




吹田の『濱の堂』のだんじりにも共通する姿見です。





さらに枡合に目を移すと・・・



だんじりの枡合と言うよりは、神社仏閣の『蟇股』の様な細工で、彫物の両側は空洞になっています。


これだけでも、文化財的な価値を見出してしまうのですが、特筆すべき点は数多くあります。

見送り三枚板部分は、三面とも『火燈窓式』になっていて、その左右に配置されている彫物は中国物の題材型施されています。



垂木が一重なのと、その間隔の広さにも注目!

さらに隅障子には、『大阪天満宮』で使われている『加賀梅鉢』の紋が彫られてあり、もとは天満界隈で曳かれていたのではないか?・・・という推測が立ちます。







さて、この下嶋のだんじり・・・


製作年代は嘉永5年(1852年)以前とされていて、160年以上の年月を経ただんじりという事になります。



大工・彫師ともに不詳でありますが、この屋形を見るに、また隅障子の加賀梅鉢を見るに、昔、天満で活躍したと言われ、『だんじり吉兵衛』と異名を取った謎のだんじり大工、柳吉兵衛か?、その一門か?、という憶測も立つのですが、如何でしょうか?




なんせ興味深い1台であります。


土呂幕は格子で、彫物は屋根廻りと見送り廻りが中心なのですが、ワタクシが一番『お!』って思ったのが、この木鼻の唐獅子



実に良い!


こちらは車板と枡合(蟇股)とで一対を成している、『龍虎相討つ』



そして火燈窓の両側を彩る、中国物の数々・・・




その数は決して多くないですが、一点一点の彫物が、目を見張る作品です。





こちら下嶋のだんじり、年代物である事に加えて、枡合などもご覧頂いた様な構造ですので、曳行するとかなり軋みが生じております。





この貴重なだんじりを、出来るだけ末永く大事にして頂きたいと、切に願う信濃屋でありました。


今回はここまで。

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