懐かしきかな、大町の先代・・・大和だんじり工務店へ搬入
まず最初に皆様にお知らせ。
当サイトの『DXコンテンツ』であります、『祭みてある記』が、久しぶりの更新されました。
もう1年近く寝かせてしまいましたが、毎年5月に富山県は高岡市で行われる『伏木曳山祭』の模様をお届けしています。

曳山同士を激しくぶつけ合う『かっちゃ』の様子を、リポートと動画でお楽しみ頂けます。
ぜひご覧下さい!
さぁ~、ほんなら本題・・・
5月10日(日)のことです。
この日は あちこちで様々な『だんじり行事』が行われ、このブログでも『守口市だんじり祭』から下嶋のだんじりをご紹介したり、淡路島は岩屋の祭礼をご紹介したりしましたが・・・


実はこの日は他にも色々とあったんです。
その中から、ちょっと『岸和田型だんじり』の写真を載せたいと思い、この話題をお届けしましょう。

奈良県は大和高田市にある、大和地車保存会のだんじり。

そう、岸和田市は八木地区・大町の先代だんじりです。
明治12年に、岸和田の北町が新調したりだんじりで、北町にとっては先々代にあたるだんじり。

大工は伊勢屋由松で、彫師は二代目・高松彦四郎を名乗った安田卯之丸を筆頭に、櫻井義國や花岡龍蔵などの豪華な顔ぶれが名を連ねる、文字どおりの『名地車』です。

大正6年、北町の先代だんじり新調に伴い、貝塚市の沢へ売却。
沢にて昭和33年まで曳行された後、昭和47年に岸和田市の大町が購入し、植山工務店にて大修理。

以後平成12年まで大町のだんじりとして活躍していましたので、ワタクシにとっては、やっぱり大町の印象が強いのです。

ワタクシが『泉州十月祭礼』をあちこち見に行っていた時代、毎年八木地区はそのコースに入っていて、このだんじりが久米田の駅前を遣り廻しで駆け抜けてゆく光景は、今もワタクシの脳裏に残っているばかりか、数々の映像にも残っています。
平成12年4月に、大町の現だんじり新調に伴い、こちら大和高田市へとやってきました。

以後、大和地車保存会のだんじりとして、現役で曳行されています。
その、『名地車』と誉れ高い彫物を、先程から写真でいくつかご紹介していますが・・・

古くて味わい深いだんじりとは、正にこの事!

今回、腰廻りの金網は外されなかったので、土呂幕などの彫物の全体像は残念ながら撮れなかったのですが・・・

この土呂幕三方を『日本神話』から題材を採用しているのは、このだんじりと、現在の大町のだんじりのみであります。

今回、おそらく大和に来てから初めてであろう大修理は、文化庁の助成を得て、地域活性化事業の一環として行われます。

小屋の前で抜魂式を終え、飾り物を外します。
この金綱や幕などは、大町で曳かれていた頃から使用されています。

それだけに、今なお『大町の先代やなぁ』という印象が消えないのでしょう。
トラックにも載せられただんじりは、一路、岸和田の《隆匠》のもとへと、旅立って行きました。

キレイに復元されて帰ってくる日が、今からとても楽しみですね!

今回はここまで~。
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