茶屋のだんぢり漫遊録

目次

町から人へ、人から町へ…時代を越えて渡り歩くだんじり



前回お届けしたブログの補足~!

8月2日(日)の『だんじり情報』に、一点追加です。

都島区・内代だんじり、大修理搬入に伴うお別れ曳行が、12:00~14:00の間、行われます。


『東成区民まつり』や『吹田まつり』へ行く前に、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょう?





さて、とうとう7月も終わっちゃいまして、本日は『大阪夏祭』の最終日ですよ!

さらに明日は尼崎、吹田、東成などでだんじりが見られますが、それが終わると『夏のだんじり曳行』は一段落となります。




さてブログの方は、大阪市旭区は中宮のだんじりをご紹介しましょう!





このだんじりは、現在この中宮の地にて曳かれるようになるまで、本当に様々な土地で、様々な人の手を経て現在に至っています。


特にこのだんじりが近年脚光を浴びたのは、平成18年に生野区の『岡』がこのだんじりで40年ぶりの復活を果たした時で、以来5年間にわたり『岡』のだんじりとして活躍。

その後、『岡』が現在のだんじりを東大阪市の御厨から購入したのを機に個人の手にわたり、その個人から平成26年に、現在の中宮が購入しました。




7月26日(日)・・・


懐かしいだんじりに再会すべく中宮を訪れた『岡』の人達と一緒に、ワタクシも中宮のだんじりを見学させてもらいました。







ではこのだんじりの経緯を紐解いてみましょう。





元々は明治の前半頃に製作されただんじりで、現在の東大阪市・稲田南が明治38年に、日露戦争の戦勝を祝して『二番』のだんじりとして購入しました。

大工・彫師は不詳となっていますが、見送り三枚板の獅子は服部清七との見立てがあり、年代物のだんじりである事に間違いはありません。




昭和19年に稲田南の中で一番と二番が合併され、このだんじりは昭和29年頃に、八尾市・竹渕に売却されました。

稲田では、各町を宮入り順で呼ぶ風習があり、南を一番町、中を三番町、北を四番町と呼びますが、現在も『二番町』はありません。


このだんじりは八尾市・竹渕で長らく活躍したのち、東大阪市の個人の手を経て、八尾市・老原へと売却されます。


やがて老原で曳かれなくなっていたこのだんじりを、八尾市・竹渕の個人が買い戻します。





再び竹渕で曳行を復活させんと、個人で台から柱にかけてを改修していましたが、その個人の亡き後、世話する人が不在となり、袋小路の奥にシートにくるまれたまま放置されていたのを、平成16年の年末に生野区・岡の個人が譲り受け、地元に寄付する形で『岡』のだんじりとなりました。





『岡』での活躍は記憶に新しく、この地に於ける40年ぶりの復活の立役者となりました。

『岡』ではだんじり復活に向けて、平野区の《大市》河合工務店に預けられましたが、肩背の新調など必要最低限の補修にとどめ、長年の放置で朽ち果てていた用材の交換や補修は地元の人たちの手により行われました。

また平成19年には屋根廻りの補修も行いましたが、それも『岡』の人たちによる手作業。

平成22年に、復活後初めての宮入りを果たすまで『岡』のだんじりとして活躍し、平成23年に『岡』が現在のだんじり購入したのに伴い、個人の手にわたりました。


その個人の手にある時期にも、『西宮市民まつり』に貸し出されるなど、活躍していました。


平成26年の秋に、現在の中宮が購入、今年の夏祭にも曳行されていました。






さて現在、中宮のだんじりとなっているこのだんじり・・・


獅噛みと懸魚は元々のものではなく、『岡』が現在のだんじりを東大阪市の御厨から購入した時に、その御厨の先代だんじりから取り付けられたもの。



このだんじりの元々の獅噛みは、現在の『岡』のだんじりに取り付けられています。


元々葺地だけで『箕子』のないだんじりなのですが、そこに『箕子』を刻んだ跡が見られます。




垂木などには今なお『岡』の銘が・・・




勾欄は、平成24年に河合工務店にて改修された、東成区は比売許曽神社(東小橋)のだんじりのものが取り付けられており、横幅、奥行きともに屋根の寸法よりも広くなっています。





そのため、舞台袖には空間が・・・






製作されてから、様々な町や人の手を渡り歩いてきたこのだんじりは、その時その時に幾度も改修を施され、原形はほとんど留めていないのですが、それでも、その土地やその町で愛され、役割を果たしてきたこのだんじりは、その存在価値を十分に発揮していると言えるのではないでしょうか?・・・




これからも中宮のだんじりとして、できるだけ永く愛され、活躍される事を祈りながら、中宮の地を後にしました。


なお、昨年まで中宮のだんじりだった先代の屋台だんじりは現在、隣町の大宮のだんじりとして活躍中!



旭区にもかつての活気が少しずつ戻ってきている様です。

だんじりが地域のコミュニティ活性化に、これからも役立ってくれる事を願いたいですね。

今回はここまで~!


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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