天神祭のだんじり体験記 ~浪速の夏の夢物語~《第3回》
連続モノで『天神祭』の地車講体験記をお届けしています。

7月25日(土)、天神祭本宮・・・
『陸渡御』の列に加わり、だいたい午後4時ぐらいに天満宮を出発しただんじり。

ただ今、『老松通り』を西へと巡行中です。
前回、この天満市場の『地車講』の、お囃子は天下一品やけど、それに伴う曳き手の掛け声は残念・・・というところまで書いて、今回へと繋げました。
では、それは一体どういうことか紐解いてみましょう。
だんじりはどこの地域へ行っても、お囃子(鳴物)に掛け声を合わすのは絶対だと思います。
泉州はモチロン、神戸や尼崎、河内も含め、地域によって鳴物の種類は変われど、そのリズムやテンポに声を合わせるのは当たり前の事ですよね?
『お囃子こそが祭の核』だと言い切るここ大阪のだんじりであれば、それはさらに色濃いモノであるはず。

しかし、『天神祭』の地車講に参加する曳き手の掛け声は、ワタクシが撮影でついて歩くようになった20年も前から、お囃子に合わせる事がなく、ただひたすら
『おーたおたー!』
『おーたおたー!』
を繰り返すのみなのです。

大阪のだんじり囃子を耳にされた方ならご存知と思いますが、大阪の『ヂキヂンコンコン』のお囃子は、鉦の『コンコン』までがワンフレーズ で、掛け声も、そのワンフレーズに合わせて、収めなければなりません。
正しくは
『あ~追うたぁ追うたぁー!』
(コンコン)
『あ~追うたぁ追うたぁー!』
(コンコン)
の繰り返しとなるべきなのです。
しかし、曳き手の掛け声は、まるで お囃子なんか耳に入ってないかの如く、つまりお囃子のテンポが早くなろうが遅くなろうがお構いナシに、
『おーたおたー!』
『おーたおたー!』
を繰り返すのみです。

正直、大阪を代表する『天神祭』のだんじりが、この状態なのは残念です。
つまるところ・・・
これが『講組織』というものなのです。
町内や村の組織のように、常日頃から繋がっている人たちではなく、この日のためだけに方々から集められた人たちなので、言わば他人同士の集まりです。
だから祭に向けて事前に話し合ったり練習したりする事のない集まりに、チームワークや連帯も存在しません。
知らない人同士が綱を持って動いている・・・それが『天神祭』のだんじりなのだという事を、あらためて認識しました。
でも、いつかは正常化して欲しいものだと心から思います。
だって、『天神祭』のだんじりですもの!

さぁて・・・まぁ、お小言はこの辺までにしときましょう!
『老松通り』を西へ進み、梅田新道から御堂筋へ向いただんじりは、ここからはよく走ります。

大阪の市街地を駆け抜け、大江橋を渡り、大阪市役所の北側へやって来ます。

そう、ここは中之島。

やがて中央公会堂の前で、外国人観光客を対象に、しばしのパフォーマンス。

大阪のだんじりはやっぱり、このお囃子と、それに伴う『龍踊り』です。

この『踊り』についても歴史を紐解けば長くなります。
今回はスルーして先に進みますよ!
中央公会堂をバックに中之島を進むだんじり。

北浜の『難波橋』、通称『ライオン橋』を北へ渡り、間もなくゴールとなる『天神橋』の北詰に到着です。

ここで『陸渡御』は一旦終了です。
曳き手は綱を放し、天神橋の下にある『船着場』へ向かいます。

だんじり本体は、天満宮への参道脇に留め置かれ、無人となる間は警備員が周りを固めます。
囃子方として来ている人たちは『乗船班』と『境内班』に分かれ、『乗船班』はワタクシ達と同じ船に乗り込み、『船渡御』に同行。
『境内班』は、だんじりのいない境内にお囃子舞台を設置して、だんじりが宮入りしてくるまでの間、お囃子を演奏します。
さぁて、ワタクシ達一行を乗せた『地車講』の船は、夏の陽射しが西に傾きかけた午後6時半頃、天神橋の下を出航しました。

これより『天神祭』最大の醍醐味、『船渡御』の始まりです。
『陸渡御』として天満宮を出発した一団は、皆ここから船に乗り換え、『船渡御』へと移行します。
『水の都』大阪の代名詞とも言える『天神祭の船渡御』は、大阪の真ん中を流れる大川を舞台に、浪速の夏を彩る一大絵巻として、また『大阪夏祭』のピークとして、その時をむかえます。
『地車講』の船にはモチロンお囃子の舞台が用意され、四六時中、だんじり囃子が演奏されながら航行されます。

先ほどまで、掛け声がどうたらと文句を言っていたワタクシも、船が動き出すや否やそんな不満もどこへやら!・・・
傾く西陽と吹き抜ける川風を受け、『浪速の夏の風物詩』にすっかりご満悦です!
さて次回はいよいよ最終回!
いよいよピークを迎えた『天神祭の船渡御』に、夜空を焦がす奉納花火、そしてフィナーレとなる『宮入り』までをお届けします!
お楽しみに・・・!
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