おっちゃんの夢を乗せて…内代のだんじり旅立つ

お盆が明け、8月も下り坂。
暑かった夏も徐々に終わりを迎えつつありますが、今回はちょっと、あの暑い夏の日に戻りますよ。
8月2日(日)・・・
大阪市は都島区・内代のだんじりが修理のため、お別れ曳行並びに抜魂式を行いましたので、その模様をお届けします。

大阪市内の中でも平野区や生野区、城東区などに比べたら、都島区はその華やかさに於いては少し影に隠れがちなのですが・・・
近年、『都島区民まつり』でだんじりが集結したり、また今年は都島神社『地車講』のだんじりが新調されるなど、注目を集めています。

そんな都島区の中に、内代(うちんだい)のだんじりがあります。

地下鉄谷町線に『野江内代』という駅がありますが、その駅の西側に広がる地域。
だんじりはご覧の通り、なかなかの年代物。

製作年代や大工は不詳ですが、おそらく江戸時代の末期から明治にかけての作品でしょう。

明治22年に、現在の中央区・安土町より購入したと言われており、もう130年ほど内代の地に留まっています。

彫師に関しては、服部清七と目されていますが、《彫清》との見立てもあるのですが・・・

この見送り三枚板などを見ると、どうも《服部》や《彫清》でもなく、非常に謎深いだんじりです。

そんな内代のだんじり、長年にわたり修理を経験せずに曳行されていました。

この内代にはかねてより、大阪のだんじりを愛し、その郷土芸能である『だんじり囃子』を後世に守り伝えようと日々努力しておられた、O野さんという方がおられました。
ワタクシ自身も若かりし頃、このO野さんには大変お世話になり、特に大阪のだんじりにとって『核』となるお囃子については、一緒に練習に加えてもらったり、時には意見を交わしたりと、盛んに交流させて頂いた『おっちゃん』でした。

また大阪のだんじりの中で顔も広く、当時、多くの若い人達がこの『おっちゃん』のもとを訪れ、お囃子の練習に励んでいたのを覚えています。
今もその遺志は、内代の若い世代に受け継がれています。

そんな『おっちゃん』も、地元・内代のだんじりが修理されないまま曳行されてきた現状を憂いており、どうにか大修理実現に向けて、長年にわたり地元との話し合いを重ねてこられました。

しかし、『おっちゃん』自身も、迫りくる病魔と戦っておられたのです。
ようやく内代のだんじりの大修理の話がまとまりかけた矢先、残念ながら『おっちゃん』は帰らぬ人となりました。
修復完成しただんじりの姿を見ることも叶わず・・・
今年、ようやく大修理が正式に決定し、8月2日(日)に、そのお別れ曳行並びに抜魂式が執り行われました。

修理を担当するのは岸和田の《大下工務店》。
真夏の太陽が照りつけるもと、内代のだんじりは多くの参加者に曳かれ、町内を巡りました。

だんじりの後ろには、在りし日の『おっちゃん』の姿が・・・

そして、『おっちゃん』の夢を乗せて、だんじりは一路、岸和田へと旅立って行きました。
『おっちゃん』のみならず、多くの内代の人たちの長年の夢は、来年、大きく実を結ぶ事でしょう。

おっちゃん見といてや~!
内代のだんじり、キレイな姿になって、また内代へ帰ってくるで~!
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