茶屋のだんぢり漫遊録

目次

《賢申堂》河合賢申の出世だんじり、その製作記…《前編》



9月の第1週目のブログで、今年完成する新調だんじりの内、『岸和田型』だんじりの先陣として堺市は鳳地区、『大鳥』のだんじりをご紹介したと思います。




それに続いて今年完成する新調だんじりのラストを飾るのは、泉大津市・穴師地区 『我孫子』 のだんじりであります!




9月13日(日)、我孫子の人達が待ちに待った新調だんじりの入魂式が、たくさんの見物客が沿道を埋め尽くす中を行われ、華々しくお披露目されました。



その入魂式ならびにお披露目曳行の模様は、『だんじりeo SE』のブログの方でお伝えしていますので、こちらのブログではもう少し踏み込んだ内容をお届けしようと思うのですが・・・



この我孫子の新調だんじり、大工は岸和田の《地車製作 隆匠》田中隆治 棟梁、彫師は《賢申堂》河合賢申 師です。



河合 師は本名、河合申仁。
昭和43年、岸和田市は中町の出身で、現在『木下彫刻工芸』を切り盛りする木下健司 師とは高校の同級生として出会います。




その後、昭和62年に健司 師の師匠であり父親である木下賢治 師に弟子入り。

《木下彫刻工芸》時代にも、岸和田市・宮本町正面土呂幕をはじめ、数多くの作品を残してきました。

平成22年に独立
師匠である木下賢治 師の『賢』の文字を拝領し、《木彫刻 賢申堂》の看板を掲げ、生まれ育った岸和田市中町に作業場を構えます。

そんな河合 師にとって、責任者としてすべてを任された 『出世だんじり』となったのが、この我孫子の新調だんじりであります。


この写真は昨年の年明け頃のもの。



我孫子の土呂幕を彫り始めて間もない頃、中町の作業場での風景です。

正面土呂幕は先代だんじりから図柄を引き継ぎ、『朝比奈三郎』を採用しました。



これはまだ彫り込む前の段階です。

出来上がりはこんな感じ。





それから間もなくして、《賢申堂》は現在の場所、岸和田市本町の紀州街道沿いに居を構えます。



昨年3月、我孫子の会館にて新調だんじりの『彫物実演会』が開催されました。



町内の人たちに、新しく出来てくるだんじりの彫物がどんな風にして作られるのか、その様子を見てもらうために、会館に製作途中の土呂幕を持ち込み、河合 師ならびに弟子の中野 師が並んで実際に彫物を彫っている様子を公開しました。

この時すでに、見学に来られた方には土呂幕の図柄は発表されましたが、まだどんな風に仕上がるかは秘密だったので、ワタクシも写真は公開していませんでした。



今回、この写真は初公開です。



この我孫子の新調だんじりには、河合 師の『出世だんじり』に花を添えるべく 《木下彫刻工芸》が助として参加



その中でも、高校からの同級生で兄弟弟子となる木下健司 師が、左右の松良を作事しています。

その出来上がった松良がこちら!



お馴染みの『大江山鬼退治』ですが、人物のポージングや表情など、木下 師の苦心の跡が伺えます。



さて、こんな感じでワタクシは、この我孫子の新調だんじり製作に少しだけ関わりを持たせて頂き、足掛け2年間にわたる製作工程を見学させて頂いてきました。



次回はいよいよ、工務店での組み立て作業も織り交ぜながら、新調だんじり完成までを振り返ってみたいと思います。



信濃屋お半悠遊!だんじり録
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