まだまだあるで~!年代物のだんじりの入魂式!

前回は9月22日(火祝)に行われた、河内長野市は下西代のだんじりの話題をお届けしましたが、今回もまた同じ日に行われた、もう一つのだんじりの話題お送りしましょうかね!

堺市は『美福連合』の中山のだんじりが修復を終え、午後からの試験曳きに先がけて入魂式が行われました。

時刻は午前8時。
言い古された表現ですが、清々しい秋晴れのもと、だんじりは入魂式が行われる『美多彌神社』に向けて、町内の会館前を出発しました。

しかしまぁ、お天気が良いってのは良いですね~!

一年中こうしてだんじり行事を見て回る事をお仕事にしてれば、そりゃ雨に当たる日もありますが、やっぱりだんじりが曳行される日は、お天気が良いに越した事はありませんよ!
そんな当たり前の事をあらためて実感できるぐらい、この日のお天気は気持ちの良いものでした。

さてこの地域は、泉北高速鉄道の『栂・美木多駅』の南側に広がる、泉北ニュータウンの一角を成す地域なのですが、いわゆる丘陵地であり凹凸の多い土地柄です。
旧村には様々な坂道があるのですが・・・

氏神・美多彌神社へと登って行く坂道も、かなり大変な上り坂!

宮入りへと向かうだんじりは、まずはこの急で長い坂道を登り切る事が重要なのであります。

中山のだんじりも美多彌神社へ向けて、一心不乱にこの急坂を曳き上げます。
ようやく坂のてっぺんまで来ると、そこは神社の駐車場。

ここにだんじりを曳き入れ、入魂式の準備です。
どうやら神社の本殿はさらに山の上にあるようで、祭礼時の宮入りも、この場所に4台のだんじりが揃うのだそう・・・

おやおや・・・だんじりの四方を注連縄で囲み、これでだんじりは完全なる『神域』の中のものとなり、非常に神聖な空気に包まれます。

さて、神事の間を利用して、このだんじりが本体について見ていきましょう。
明治15年に、現在の岸和田市・山直南地区となる『稲葉町西』が新調したもので、大工は明治の甚五郎と謳われた《左ヱ門》こと、櫻井義國であります。

それだけでまず『お~!』と思ってしまうのですが、加えて彫師は玉井行陽、保田卯ノ松となっております。

しかし、どうやらそれだけではなく、当時活躍した《彫又》一門の手も加わっている?・・・という見立てもあるだんじりで、非常に興味深いのであります。

枡合に『壇ノ浦の八艘跳び』など、現在のだんじりではあまり用いられない図柄なのですが、こんな狭いスペースにも無理なく収める当時の技術には、目を見張るものがあります。

派手な彫物には目を奪われがちな現代において、あっさりと、しかも魅きつけるだけの姿を見せるこの時代の彫物は、見ていて飽きません。

ワタクシが年代物のだんじりを愛してやまない所以がここにあります。
このだんじりの歴史をざっと振り返っておきますと、長らく稲葉西のだんじりとして活躍した後、平成8年に稲葉西の現だんじり新調に伴い、岸和田市は葛城町へと売却。
葛城町の現だんじり(岸和田市・北町先代)購入に伴い、平成19年にここ中山が購入。
翌20年より、この地にて活躍しています。

新調当時は『切妻造り』の屋根であったのを、昭和57年に《大常》での修復時に『二重破風式の入母屋造り』に改められ、その時、見送りなどに松田正幸による彫物が付け加えられています。

また平成12年に《池内工務店》での修理の際、現在の『入母屋造り』の屋根に改められました。
今回の修復は《植山工務店》にて行われ、洗いと締め直し、および屋根廻りの修復が行われました。
『切妻造り』の屋根に戻ったらどんな姿見になるのかな?
古くさいだんじりを好むワタクシの独り言です。
さて、この中山の入魂式でもう一つ、珍しい光景を見ました。
入魂式の前にだんじりの四方を囲った注連縄を、今度は子供さんによって『注連縄切り』が行われるのです!

これは美多彌神社に於ける仕来りのようです。
神社を出発しただんじりは、神社横の交差点にて遣り廻しを2発行い、午後からの試験曳きに向けて、町内へと戻って行きました。

中山の皆さん、この度はだんじり修復完成および入魂式、おめでとうございます。

この先まだまだ、秋祭に向けて色々なだんじりが修理を終えて帰ってきますよ~!
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