変わりゆく駅前に『曳き唄』が響く…《後編》

前回からの続き。
9月27日(日)に行われた、河内長野市・『三日市地区』の試験曳きの様子をお届けしています。

ここ『三日市地区』のだんじり曳行の様子を見ていて、ふと『時代の流れ』を感じずには居られないと思う事が、二つあります。
まず一つ目は、『曳き唄』。

今や南河内地方のだんじりの代名詞とも言える『曳き唄』ですが・・・
ここ『三日市地区』のだんじりが『曳き唄』を唄い始めたのは、それほど古くはありません。
そう、あれは今から10年以上前のこと・・・
厳密に何年の事かは忘れましたが、三日市町の駅にほど近い南部(南三日市)のだんじりが、3月の上旬に何かの事情で曳行した事がありました。

現在のような駅前ロータリーが出来る前の頃でしたが、当時、すでに千早赤阪や河南町、富田林あたりの祭礼では『曳き唄』がブームとなっていて、盛んに『オリジナル唄』が唄われていました。
しかし、まだ河内長野には『曳き唄』は導入されておらず、昔ながらの曳行が行われていました。
その時、青年団の誰かがノリで『曳き唄』を歌おうとした途端、世話人の世代の人から
『歌うなー!』
と一喝する声が。
当時、青年団の世代は南河内で流行りの『曳き唄』を導入したかったのでしょうが、世話人の世代が頑なに昔ながらの曳行を守ろうとしていたのでしょう。
そんな思い出から10年以上の歳月を経て・・・
今や『三日市地区』も、『曳き唄』が盛んになりました。

それが良い悪いではなく、『あぁ、そんな時代なんやなぁ』って、思わされます。
そんなワタクシ自身も、『曳き唄』が聴きたくてこの日の三日市に来ている節があります。

しかし、先ほど早々と曳行を終了させた小塩のだんじりなどは、未だに『曳き唄』を導入せず、昔ながらの曳行を守り続けています。

町によって、『良しとする祭』の在り方は様々なのです。
もう一つ、ワタクシが時代の流れを感じずには居られないのが、先程もちょっと触れた『駅前ロータリー』です。

そう、10年以上前に、南部(南三日市)のだんじりが何らかの事情で曳行された日、三日市町の駅前はこんなに開けた町ではなかった・・・
ちょうどこの駅前は『中高野街道』が南北に通っていて、昔はちょっと開けた『駅前広場』があるのみで、そこに三日市地区の各町のだんじりが集まっては、名物『ブン廻し』を披露していました。
今もロータリーの南北の袖には旧街道が残っています。
ロータリーを離れ、ひとたび街道筋へ入ると今も古い町並みが残っています。
『三日市』の名の通り、高野詣りの宿と市場で栄えた面影は、古い家の瓦屋根にその佇まいを残し、街道沿いをだんじりが通ると何とも言えぬ情緒があります。

しかし、ひとたびロータリーに出ると、大きな商業施設の建物がそびえ、ひと昔前の駅前広場の面影は、ロータリーの南側、南部のだんじり小屋沿いにひっそりと残るのみです。
そう、良い悪いではなく、それが『時代の流れ』なのだと、『曳き唄』を響かせながら夜のロータリーを練り歩くだんじりを見つめながら、そんな思いを抱きしめていました。

なお、上田のだんじりは昨年新調されたもの。

他にも北部(北三日市)と片添のだんじりも、この10年の間に入れ替わりました。

それも『時代の流れ』の一つなのです。
今回は2回にわたり、秋祭シーズン真っ只中に全くふさわしくなく、ノスタルジックな話題をお届けしました。
河内長野市の祭礼は10月10日・11日の土日です。

『泉州十月祭礼』真っ只中ではありますが、こちら河内長野のだんじり祭にも、足を運んでみて下さい。
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