茶屋のだんぢり漫遊録

目次

平野区の片隅に、神戸型のだんじり




タイトルを見て、ピンと来られる方も多々あろうことは承知の上ですが、まだご存じない方もあろうと思いますので、ここにご紹介させて頂きます。



『平野区のだんじり』…といえば、真っ先に思い浮かぶのは?・・・

ほぼ間違いなく、『杭全神社』の夏祭に曳き出される9台のだんじりが思い浮かぶでしょう。




その次に旭神社の加美北東や、正覚寺のだんじりを思い浮かべ、菅原神社の細田のだんじりを思い浮かべるのではないでしょうか?





しかーし!



『まだあるよ』・・・と言うと、『え?どこ?…』と思われる方もありましょう。



平野区の南東部で、お隣は八尾市という位置に『長吉六反』という地域があり、ここにもだんじりが存在しています。

こちら!




はい、ご覧の通り、なんと『神戸型』!




外ゴマ式、二枚幕式、そらに大きく張り出した担い棒、跳ね上がりの大きな屋根・・・

まごう事なき『神戸型』のまま曳かれています。



大阪市内の端っこに、こんな形のだんじりが残されているんですね~!




ここ『六反』のだんじりは、氏神・赤坂神社の秋祭の日に曳き出されており、お囃子は大阪流『天神囃子』で、曳行方法も大阪式なんですよ。




近年、盛んに大型化や新調などが進む神戸市内とは無縁に、こちら六反のだんじりはおそらく、ほぼ原型どおりの姿形を今に残すものとなっています。





このだんじりはどこで新調されたものかは定かではありませんが、昭和初期ごろの製作と目されています。

昭和3年に神戸住吉の畳屋より、芦屋市の三條が購入して曳いていました。

昭和39年に三條が手放し、個人業者の手を経て奈良県の広陵町の個人の手に渡るのですが、広陵町では1度も曳かれず保存されていたのを、昭和53年にここ六反が購入したそうです。




六反ではこのだんじりが初代にあたります。



昭和60年には『御堂筋パレード』に参加。
ワタクシ個人は、この『御堂筋パレード』の日にこのだんじりに出会っていますが、なかなか祭礼日に足を運んで見に行くには至りませんでした。

あれからちょうど30年も経つんですね~!



この六反のだんじり、神戸市東灘区は弓弦羽神社の宮本である『郡家』のだんじりと共通点が多い様です。



現在、郡家のだんじりは大型化されていますが、かつてはこの六反のだんじりと同じような大きさで、同じような姿見でした。


郡家のだんじりは、大正から昭和初期の製作で、大工は淡路島の大工とされ、彫師は《彫寅》北野寅蔵。





ここ六反のだんじりも、彫師は同じく《彫寅》である事と、姿形や製作年代が近い事から推察するに、郡家と同じく淡路島の大工の手によるものではないかと思われます。





さてこの六反のだんじり、実は修復のため工務店に搬入される運びとなっております。



修復を担当するのは、同じく平野区の喜連にある《大市》河合工務店



はてさて、どのような修復がなされるのか興味津々といったところ。




また続報は追ってご紹介してゆきたいと思っております。

今回はここまで・・・。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>