茶屋のだんぢり漫遊録

目次

今年で引退のだんじり、最後の舞台は太閤さんのもとへ・・・《前編》



11月も半ばを迎え、雨の降る日が増えてきました。


この時期は今年で現役を退いただんじりの話題や、修理のため工務店へ入るだんじりなどの話題が多いです。


前回も、和泉市は郷荘地区の、桑原町のだんじりの、お別れ曳行ならびに昇魂式の話題をお届けしました。





さて今回もまた1台、今年で現役を退いただんじりについて触れたいと思います。


こちら!



大東市西諸福のだんじりです。


この写真は10月18日(日)の、秋祭の日に我がモバイルテレビジョン(株)の撮影部隊がお邪魔して撮影したきたものです。



ワタクシ自身は別の場所でだんじり撮影。



このだんじりの姿形を見て、
『おや?…』
と思われた方もあるのでは?




そう、大東市と言えば、『北河内型(讃良型)』の宝庫なのですが、ここ西諸福のだんじりは、ご覧のとおり『大阪型』であり、またお囃子も大阪流の天神囃子をベースにした、いわゆる『ヂキヂンコンコン』のお囃子で曳行しています。






実は西諸福でも、先代だんじりは『北河内型』を所有していたようですが、失火により焼失してしまい、このだんじりは、大正時代の初期東大阪の稲田から購入したものなのだそうです。


同じ諸福でも、お隣の東諸福は現在も巨大な『北河内型』のだんじりを所有しています。




確かに大東市といえど、現存するだんじりのすべてが『北河内型』という訳ではなく、諸福からJR学研都市線を南へ超えた『南大東連合』の3台のだんじりは『北河内型』ではありません



南大東連合は、土地的な位置からすれば東大阪市の盾津(北江)地区に隣接しており、ともすれば『中河内』に属するかもしれません。


また西諸福も、大正時代からこの『大阪型』のだんじりを持ち、すぐ南側は東大阪市の鴻池、すぐ西は大阪市鶴見区に隣接しており、『大阪型』だんじり文化圏の影響は少なからず受けていたのかも知れません。

こうした『多種混在型』の地域は、市町村の入り組んだ境界線あたりではよく見られる事で、『だんじり文化圏』の違いや歴史的な背景など、興味深いことがたくさん見えて来ます。



さて、西諸福のだんじりに話を戻しましょう。




このだんじり、大正初期に東大阪から購入したと述べましたが、もとは明治期の製作とされていて、大工は不詳です。




屋根の破風の形状を見るに、どことなく《大佐》の手によるものにも見えるのですが、屋根以外の部材には特に《大佐》らしい箇所は見当たらず、製作大工の特定には至りません。





では次に彫物を見ていきましょう。


彫師は《辻田友次郎》とされています。




すべてが辻田の作品かと問われれば断言は出来ませんが、屋根見送り三枚板などは、文字どおり辻田の手によるものと思われます。


こちらは大屋根虹梁の龍。



逆に、こういう屋根廻りなんかはどうですかね~?

こちらは小屋根虹梁の獅子。



辻田の、ものすごく良い獅子と比べたらこちらは細工が粗いのですが、雰囲気は近いような気もします。
ワタクシ自身まだまだ不勉強で、違うともそうだとも断言できないのであります・・・

シンプルな作風ではありますが、味わい深い姿をしています。

こちらは後ろの車板の獅子。




脇障子。




三枚板。




勾欄合の『富士の巻狩り』は、よく見る図柄ですね。






さてこの西諸福のだんじり、祭礼としての曳行はこの秋祭にて終了したのですが、最後の晴れ舞台として、11月3日(火祝)に行われた『だんじり in 大阪城』に参加しました。


その模様は、次回お届け致します。


今回はここまで。



信濃屋お半悠遊!だんじり録
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