茶屋のだんぢり漫遊録

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雨の11月…衣摺のだんじりの旅立ち《前編》

 


11月に入って、雨の降る日が増えましたね!

10月中は平日、休日を問わず連日の秋晴れで、こんな気候も珍しいと思っていたのですが、『だんじりシーズン』のピークが終わり、11月に入った途端、頻繁に雨が降るようになりました。


自然界はこんな風にして帳尻を合わせてくるんですね。


さて今回の話題も、そんな雨の日のお話。


繰り返し書いているような気もしますが、この時期はだんじりの現役引退や修理のための工務店搬入などの話題が豊富です。

祭礼本番ではなかなか1台1台のだんじりにスポットを当てることも難しく、こういう機会でないと詳しく記述することもあまりない、そんなだんじりがたくさんあります。


今回ご紹介するのも、そんなだんじりの一つなのではないでしょうか?




東大阪市は長瀬地区、『衣摺(きずり)』のだんじりです。




東大阪市の中でも、布施地区、及び長瀬地区と言えば、毎年4月に近鉄の布施駅前やJR長瀬駅前で『地車パレード』を開催していたり・・・




また 『だんじり in 大阪城』に参加するだんじりがあったり、さらに柏田や北蛇草など、『名地車』としての誉れ高いだんじりがあったりと、何かと話題の豊富な土地ではありますが・・・




そんな中にあって、ここ衣摺のだんじりは、それほど頻繁に活躍するでもなく、比較的目立たない存在である感は否めないところ。


長瀬神社の宮本にあたる地域で、神社の鳥居前にだんじり小屋があるので、この地域の祭礼で特に『宮入り』を見に行かれた事のある方なら、このだんじりの勇姿を目の当たりにした事はあるかも知れません。




布施地区・長瀬地区あたりの活発な活動からはやや離れた存在ではありますが、だんじり本体はと言うと、これがなかなかの『名地車』であり、特に屋根廻りから見送り三枚板にかけては見応えのある彫物が組み込まれています。




この衣摺のだんじりは二代目で、初代だんじりは明治24年に、片江村の大工《宮崎喜三郎》が製作したものを購入し、大正元年頃まで曳行したのち、解体処分となったそうです。

その後、大正2年に現在の旭区・赤川から購入したのがこのだんじり。




残念ながら製作年代、大工、彫師ともハッキリとした確証がなく、《不詳》とされていますが、一説には、《大佐》の十一代目にして《大佐》の名を1夜押し上げた川崎仙之助が製作に関わっているともされ、そうであれば、製作年代は明治20年代前後推定できます。



《大佐》が関わっているのなら、彫師も《彫又》一門が有力かと思うのですが、《彫清》一門ではないか?・・・という見立てが有力で、本当に確証の得られないだんじりです。




さて、大正初期より一世紀以上にわたり、この衣摺の地で活躍してきただんじりも、来年の新調だんじり完成に伴い、今年限りで衣摺を離れる事になりました。




11月8日(日)、朝からシトシトと雨の降り注ぐ中、お別れ曳行ならびに昇魂式が行われたのですが・・・




その模様は、また次回に譲りますね!


今回はここまで~。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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