茶屋のだんぢり漫遊録

目次

大東市御領・・・そのだんじりの往く道 《後編》

 


来年に新調だんじりが完成予定の、大東市『御領』。


その御領にて、今年まで活躍していただんじりについて書き綴っています。






おそらく幕末から明治にかけての時代に製作されたこのだんじりの、元々の彫師は《彫清》一門であるとされています。



そこに後から、《彫又》西岡又兵衛によって見送り三枚板や土呂幕の彫物が付け加えられたであろうところまで、見立てがされています。


では、その年代はいつ頃か?・・・という謎についてですが・・・




ここ、『御領』という地域は『旧・南郷村』の中にあり、今も周囲に用水路が堀川として残る歴史深い土地です。



古くは平安時代から、皇室の食料を調達するための『御領』(天領)であったとされ、それが地名の由来。



平安時代の天皇の料理番が出入りしていた場所って事かな?



『南郷村』
は現在の大東市の中でも市街地からは離れており、産業が発達したのは大正期に入ってからで、この御領のだんじりも、大正12年に購入されたものだそうです。



もしかしたらその時に、だんじり購入の財力を生かして、西岡又兵衛に彫物追加を依頼したのではないか?




という推察が立ちます。


近隣の地域のだんじりに比べたら少し小振りであったという事が、他所のだんじりより見劣りしないために彫物を追加した・・・のかも知れません。


いずれにせよ、数奇な変遷を経て現在に至るだんじりで、非常に興味深く、また文化財的価値のあるだんじりだと思います。





さて、このだんじり・・・



来年には新調だんじりが完成ということで、今年で現役引退なのです。




それに伴い、11月29日(日)の午前10時から、氏神・御領神社にて昇魂式が行われました。




で、このだんじりの行き先はというと?



大東市の歴史民族資料館に寄贈され、保存されることになっています。

ただし、解体された状態か、組み立てて保存なのかは不明。

いずれにせよ解体せねば建物内には入れられないので、昇魂式を終えてから、まずは屋根の部分から解体すべく、ちょいと移動曳行です。



だんじりは神社から鳴物を鳴らさず移動。

すぐ近くの公園?にて、だんじり新調を担当する《大下工務店》の手によって、大屋根の取り外しが始まりました。





以前、姉妹サイト『だんじり eo SE』のブログにて、同じく『北河内型』である東大阪市の善根寺のだんじりが修理のため搬出される様子をリポートしたのですが・・・


巨大な『北河内型』のだんじりを運搬するには、まずは屋根の取り外しが不可欠であると述べました。




この日取り外された大屋根、小屋根、車板、虹梁などの部材は、一足お先に民族資料館へと搬入されましたが、柱から下の部分は工務店に持ち帰って解体され、後日搬入されるとのこと。




現在、大東市の歴史民族資料館では、市民学芸員さん達による『だんじり調査』が盛んです。

このだんじりも、そうした皆さんの貴重な研究資料となることでしょう。






『北河内型』のだんじりは、その巨大さゆえに、他所ではなかなか活躍の場が与えられにくい側面があります。

奄美大島で被災した『原野農芸博物館』所有のだんじりも、もとは巨大さゆえに曳けなくなり、博物館に引き取られたものでした。




こうして役目を終えた『北河内型』のだんじりが、処分などされる事なく余生を送る場所が与えられた事は、何より喜ばしい事であると思います。




来年完成する新調だんじりも楽しみですが、まずは今年まで活躍しただんじりに、
『お疲れさま、長い間ありがとう』
の言葉を贈りたいと思います。



今回はここまで。


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