丘の上に並び立つだんじり《後編》

12月20日(日)に行われた、寝屋川市・水本地区『打上(上)』のだんじりの入魂式にお邪魔しています。

前回お話したような事情で、現在は曳行されていない打上のだんじり。
入魂式の後も『お披露目曳行』する事はなく、その場に据え置かれていました。

その時間を利用して、だんじりをじっくり拝見させて頂きます。
今回の修復は、全体の洗いと締め直しが主な作業で、新調交換された部材はないとの事。

修復のためだんじりを搬出するにも、参道の出口はだんじりの通れない路地。
現地で解体し、部材単位で持ち帰り、工務店にて作業したのち、また現地へ部材単位で持ち込んでの組立作業だったようです。

『北河内型』のだんじりはその巨大さゆえ、修復などの搬出、搬入の際には、トラックでの運搬の前に大屋根を取り外す作業が不可欠ですが、だんじり本体が通れない道があるという事は、だんじりを積むトラックも通れないという事なので、現地での解体作業、また組立作業の大変さは想像に余りあるものです。

そんな大変な作業を経て修復を終えた『打上(上)』のだんじりを、ちょっとじっくり見てみましょ。

慶応4年(1868年)の製作とされるこのだんじり、実は慶応4年は9月7日までしかなく、翌9月8日からは明治元年になります。
いわゆる『大政奉還』から明治新政府が樹立された新時代幕開けの年に製作されたこのだんじりは、『江戸時代最後のだんじり』と言って差し支えないでしょう。
完成が数ヶ月後だったら明治元年製作となっていたのですから。

大工は四條畷の《木間村の大工》とされ、幕末から明治にかけて、北河内で多くのだんじりを手掛けた大工と思われます。
彫師は八代目・小松源助(福太郎)に、彫清一門の手が加わっていると看られています。

『北河内型』のだんじりに総じて言える事は、とにかく屋根廻りの彫物に目を奪われるのですが、この打上(上)のだんじりも、大屋根車板の『龍』、小屋根車板の『獅子』は本当に目を奪われます。

小屋根の虹梁の獅子にも目が行きます。

土呂幕は源平の定番の場面です。

一方、小屋の中からこの日の一部始終を見つめていた打上(下)のだんじりは、明治16年の製作とされ、大工は同じく《木間村の大工》で、彫師も同じく八代目・小松源助(福太郎)及び彫清一門とされています。

こちらは何より、大屋根正面の獅噛みに目が行きます。

獅子などの彫物は『上』に比べたら少しあっさりな印象ですが、『龍』はまた絶品な味を出しています。

今回は修復の対象とならなかった『下』のだんじりなのですが、いつかは修復の日を迎える事は出来るでしょうか?

狭い『鍵曲がり』を抜けた先の、高い丘の上にある巨大なだんじり。
身動きのとれない場所に置かれただんじりを修復するのは、並大抵ではないようです。

この年代物のだんじりを末永く大切にして頂きたいと願っております。
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