茶屋のだんぢり漫遊録

目次

クリスマス前に修復完了!《後編》

前回に引き続き、大東市西宮(深野北)のだんじりについて触れていきましょう。




12月23日(水祝)・・・

植山工務店での修復を終えて、地元へと戻ってきた深野北のだんじり。


前回は、明治30年の改修によって施された《彫清》一門の手による彫物を中心に見てきました。

中でもワタクシ的に目を引いたのは小屋根の拝懸魚でした。





さて、このだんじりは前回も触れたとおり、おそらく幕末頃~明治の初め頃にかけて製作されたものではないかとされ、元々の彫師は《花岡》一門とされています。


その《花岡》一門の手による作品を探ってみましょう。



まず目についたのが、小屋根の車板。




そして虹梁にかけての獅子や麒麟などは、《彫清》とは違う雰囲気です。




そうなると大屋根の車板はどうでしょうか?




大屋根も、懸魚については《彫清》のものと思われますが、車板の龍についてはどうでしょうね~?




またご見識ある皆さんのご意見を伺いたいと思います。



さて、現地での作業が終わり、工務店の職人さん達は引き揚げて行かれました。


修復を終え、美しく生まれ変わっただんじりを囲んで、まずは地元の皆さんで集合写真。




その後、だんじり小屋のある氏神・菅原神社へ向けての移動曳行となりました。




四條畷警察署の前を通り過ぎ、およそ500メートル程の道のりを、ゆっくりと曳かれて行きます。




やがて川沿いの道から、神社へと向きを変えます。



堤防沿いの歩道の柵が一部撤去されていたのは、だんじりが方向転換するための処置だったのですね!




さてお昼前に神社境内にある小屋へと到着しただんじり。




午後からはこの神社にて入魂式となったのですが、ワタクシは時間の都合でここまで。




深野北の皆さん、この度はだんじり修復、おめでとうございます。





さて、最後に当サイトのユーザーの皆様にはご報告があります。


年末に、東大阪市は鴻池のだんじりに関するブログをUPしましたところ、複数の方から、地区名に関するご意見を賜りました。

つまり、それまで当サイトの『各町のだんじり』の画面で、地区名の表記が
『盾津(北江)』
となっていた件についてご指摘を賜り、この度、表記を
『盾津(成和)』
と改めさせて頂きました。




なお、同じ東大阪市で、現在は北部と南部で祭礼が分かれている『盾津(六郷)』に関しては、もうしばらく精査の上、表記を検討させて頂きます。


ひとまず、現時点でのご報告です。


では、今回はここまで~。



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