茶屋のだんぢり漫遊録

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美しき年代物のだんじり… 『二丁通』 編





人形浄瑠璃『曽根崎心中』の作者で有名な近松門左衛門が、その『曽根崎心中』を書き上げるまでの超・スランプ期をコミカルに描いたNHKの木曜時代劇 『ちかえもん』が、とても面白いです。


この、スランプ真っ只中の、中年シナリオライターが、ワタクシに被るんですわ。

『今日も一行も、書けてなぁ~~い!』

ちょっと持ち上げられたらホイホイ喜ぶくせに、いざ何か書こうと思ったら何も思い浮かばず、今日も年増遊女を相手にちびちび酒を飲む、小さくてせっこいオッサン。

その心の嘆きや葛藤が、痛いほど分かるワタクシ。

でもこの前の回では、『赤穂義士』について、ええこと言うてましたけどね・・・


いずれはワタクシも近松門左衛門みたいに、後世に残るような何かを書き残せるんでしょうか?




さて、今日も今日とて、相変わらず『だんじりネタ』を書き綴ってゆくのですが・・・




前回もお話しました1月24日(日)・・・



四條畷市内でいくつかの貴重なだんじりを拝見させて頂いたお話の、続き。




前回は『木間』のだんじりについてお話しましたが、今回はその午前中に拝見させて頂いた、『二丁通』のだんじりを見て行きましょう。




くすのき小学校の北側に位置する『二丁通』のだんじり小屋は、会館と一体化しており、ご覧の通り、獅噛みを外した形で保存されています。




『北河内型』のだんじりは、さらに型分けするなら『讃良型』と『交野型』に分けられますが、いずれも背が高く、『巨大だんじり』のイメージがありますが・・・



前回拝見した『木間』、さらに今回ご紹介する『二丁通』などは、それら『北河内型』の中では、とりわけ大きな部類ではない様です。

柱間口などの寸法は、一般的な『上地車』とさほど大きな差はありません。



屋根の形は、個人的に好きな形やなぁ~!


製作年代は明治15年
大工は不詳で、彫師は《彫清》一門との見立てがなされています。




では別枠で見学させて頂いた獅噛みから見て行きましょう。



大屋根正面と後面とて、耳や額の感じが少し違います。





正面車板の龍。



この『龍』の構図は、前回の『木間』もそうですが、彫師の流派・一門を問わずこの構図が最もポピュラーで、首の向きが逆のものもありますが、多くはこの向きで彫られています。

その顔つき・・・だけでは、浅学なワタクシ自身が胸を張って彫師を言い当てるにはまだ至りませんな。


その他の彫物も見て行きましょか。


大屋根下の虹梁は麒麟。




小屋根下の虹梁は唐獅子。



こういう配置も『北河内型』にはよくあります。

こちらは小屋根の車板。



この構図も、彫師の流派・一門を問わず、よく彫られる図柄ですね~。


土呂幕は、明らかに手が違うように思われます。



井波の『欄間彫り』のような雰囲気。
後から施されたとすれば、いつに時代でしょうかね?・・・



ここ『二丁通』の氏神は住吉平田神社で、JR学研都市線のさらに東の、かなり山側にあり、『二丁通』からはかなりの距離があります。




『二丁通』では祭礼時も宮入りは行なっておらず、町内を中心とした曳行で、近隣の雁屋、北出のだんじりと交流などは行なって来ました。

しかし、諸般の事情で昨年からは曳行を休止しており、今年の祭礼時も見れるかどうかは不明なのです。




言わば、今回見学させて頂いたのは本当に貴重な機会であり、これを段取りして下さった皆様、また快く小屋を開けて下さった二丁通の皆様には、本当に感謝の意を申し上げます。





さて、次回は~?



このままもう一台のだんじりをご紹介するのか、はたまた別の話題をお送りするのか、それは次回のお楽しみ!



『・・・てな、陳腐な言い回しは、ワシのプライドが許さんのである!
by:近松門左衛門』





今回はここまで。


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