犬鳴山をバックに工務店へ!

2月に入りました。
姉妹サイト『だんじりeo SE』の方のブログにも書いたのですが、もう1年の12分の1が、早くも過ぎてしまったのです・・・
プロ野球は現在キャンプインしていますが、だんじりの世界でも、昨年の終わり頃から修理のために『キャンプイン』(工務店へ搬入)するだんじりが続々。
先週からの流れで今回も『北河内型』の名だんじりに触れようかと思ったのですが、今回はちょっと流れを変えて、修理のために『キャンプイン』しただんじりを見てみたいと思います。
1月31日(日)
向かった先は泉佐野市・上之郷にある『下村』。

今回、岸和田の《大下工務店》へ搬入それるため、朝から町内にて抜魂式が行われるところを、ちょいとお邪魔。

『泉州十月祭礼』の時は、ワタクシ自身は別の場所にいてますので、なかなか各地区のだんじりを見て回ることが叶いません。
『上之郷』は試験曳きの日が九月の最終日曜日という事もあって、試験曳きには何度か足を運んだことがあります。

が・・・
なかなかだんじり本体をじっくり拝見する機会はホントに稀。
ワタクシが到着した時は、下村のだんじりは小屋から出され、開館前に据えられていました。

抜魂式のために、氏神・意賀美神社の宮司さんが祭壇を設置している時で、周りを青年団はじめ若頭や町内の皆さんが囲んでいる中、ワタクシもしれ~っと混じってだんじりを拝見。

泉州各地で様々なだんじり新調に沸いていた昭和の初め頃、このだんじりも大工・《大宗》植山宗一郎により製作されました。

製作年代は昭和7年に、ここ下村にて新調・・・となっているのですが、その以前に2~3年、《大宗》からだんじりを借りて曳行しており、地元ではこのだんじりがその借りて曳いただんじりであるという人もおられ、そうなると、このだんじりの製作年代はは昭和7年よりも前、という事になります。

彫師は吉岡義峰の弟子・森曲江が責任者となり刻んだようで、助に田沼源治が加わったものと思われます。

同じ頃、森曲江も田沼源治も、他に様々なだんじりの仕事に携わっており、森曲江は泉大津の出屋敷先代(現・東住吉区の育和)、田沼源治は泉大津市の豊中や高石市の高師濱(春木大国町先代、新調町は泉佐野市の日根野西出)に、その名を見ることができます。

森曲江の作風は、師匠である吉岡義峰に似ており、吉岡に比べると全体的にやや淡麗な雰囲気かな?


ワタクシ的に、姿見や大きさの好きなだんじりで、決して大型ではないけれども、バランス良くまとめ上げられたフォルムがワタクシ好みであります。

やがて始まった抜魂式に、それまでだんじりにへばりついていたワタクシも一旦離れまして、周りは厳かな神事の空気に。

抜魂式の後、しばし町内の皆さんが思い思いに写真を撮ったりしている風景を眺めておりましたら、工務店のトラックが到着。
ちょうどこの前日、奈良県の『平城宮跡』で行われた『大立山まつり』に、同じ奈良県は広陵町のだんじりが参加するため、その往復搬送にまる一日活躍していた工務店のトラック。
一夜明けて今日も朝からだんじり搬送に大活躍ですな。
トラックに積める場所までは、だんじりをゴロゴロ押して移動。

その場所とは、遠くに犬鳴山を臨む、雄大な風景が広がる場所でした。

思えばここ『上之郷』は、だんじり現存地区としては大阪府最南端になります
(大木の担いだんじりは別にして…)。
手際よくトラックに積み込まれただんじりは、犬鳴山をバックにしばし佇んでいます。

その後、たくさんの人に見送られて、工務店へと旅立って行きました。
ちなみにこの日は午後からも堺市・草部地区の馬場で、だんじりの工務店搬入が行われていたのですが、ワタクシは都合がつかず、現地へは赴けませんでした。
申し訳ない・・・
では、下村のだんじりもやがて美しく生まれ変わって帰って来る事を楽しみにしながら、今回はこの辺で・・・

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