茶屋のだんぢり漫遊録

目次

秀吉の香炉を盗もうとした石川五右衛門

前回からの続きなのですが、タイトルが変わりました。


前回のブログで、工務店へと搬入された岸和田市南上町のだんじり





搬入翌日の2月15日(月)は、さっそく朝から修理のための解体作業。




ただいま《植山工務店》には、同じ岸和田の南町、大工町のだんじりも修理のために搬入されていますが、両だんじりの姿は現在当然ある由もなく・・・


作業場には昨年の今ぐらいに抜魂式が行われた、鶴見区は中茶屋のだんじりが、一年越しの作業中。



さて今回搬入された南上町のだんじりですが、ワタクシが仕事は別にしても拝みたかったのが、このだんじり一番の看板彫物!



土呂幕正面 『秀吉の香炉を盗む石川五右衛門』です。




天下統一の後の御世、秀吉による『朝鮮出兵』の折と重なり、警備の手薄な伏見城へと忍び込んだのは、当時『天下の大盗賊』の異名を取った石川五右衛門。
その真の狙いは、本当に秀吉の家宝・『千鳥』と呼ばれる香炉か?、はたまた秀吉本人の首だったのか?…





五右衛門がその香炉に近づいたところ、その香炉がまさに『千鳥』の如く鳴いたと言い、これに目を覚ました秀吉の命により、駆けつけた警護たちと大立ち回りの末、ついに五右衛門は捕らえられてしまいます。




この正面土呂幕は、まさにその大立ち回りの様子を表しており、石川五右衛門を中心とした臨場感、緊迫感に満ち溢れた、魅力ある作品となっています。



この作品を手がけたのはご存じ、播州飾磨の《黒田一門》、三代目・黒田正勝の弟子で、昭和の岸和田に居を構え、泉州はモチロン摂津や河内にも数多くの名作を残した名匠・木下舜次郎。

そしてその舜次郎の、おそらく最後となる新調だんじりであります。





その正面土呂幕に据えられたこの図柄は、現在の中北町のだんじりにも、舜次郎の孫にあたり現在の《木下一門》を背負って立つ木下健司 師により引き継がれています。


この現・中北町の正面土呂幕は、木下健司 師が、我が祖父にして遠き目標でもある舜次郎に対して、真っ向勝負を挑んだ作品であり、健司師自身のアレンジ、創意工夫が加えられ、その豪壮さ、ノミの荒々しさ、臨場感などにおいて、先代を凌ぐと言われる作品です。


確かに、先代となる現・南上町の正面土呂幕は、現在の中北町のそれに比べればやや淡白な印象こそ受けますが、その全体の構図、人物の配置やポージングなど、見るべき点の多さでは全く引けを取らない作品であると言えると思います。




こうなれば好みの問題。


ワタクシ自身はどちらも好きですが、こうして南上町の正面土呂幕を見るにつけ、やっぱりその場面に引き込まれ、ついつい見入ってしまうのは変わりないのであります。




確かに舜次郎自身の作品の中でも、同じ岸和田の中之濱町や貝塚の東、さらに西淀川区の中神車などからすれば、やや落ち着いた雰囲気はあります。


しかし、この場面を『岸和田型』のだんじりの正面土呂幕として採用するために、舜次郎が如何に苦心と工夫を重ねたか、その人物の配置やポージングなどに伺い知る事が出来るのであります。



なんせまぁ、個人的に好きな彫物の一つ。


早朝から始まった解体作業は手際よく進み、半日あれば彫物の類のほとんどが取り外されました。

彫物の類で一番最後に取り外されたのが、この正面土呂幕の石川五右衛門。



それはまるで、この石川五右衛門こそが、このだんじりの守護神であるかの如く、最後の最後まで、このだんじりの正面で輝きを放っていました。




この南上町のだんじりは、また6月頃には修復を完成するとのこと。

おそらく見違えるほど美しく生まれ変わって、再び町内へと戻ってくることでしょう。


その日を楽しみに待ちましょう。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>