茶屋のだんぢり漫遊録

目次

二十四年の思いをこめて・・・

 



寒の戻り!!!


信濃屋ウェザーニュースの予報は当たるんどすえぇ~!

冬物のコートはまだ4月ぐらいまで出しておきましょうね・・・。




さて前回は2月28日(日)に入魂式ならびにお披露目曳行が行われた4台のだんじりのうち、千早赤阪村の川野邊のだんじりについて触れましたが・・・


今回は大阪狭山市前田のだんじりについて触れてみましょう。




今回、入魂式に先駆けて前日の2月27日(土)に、施工大工である《大下工務店》から町内へと搬入されました。



前田のだんじり小屋というと、氏神である狭山神社の裏山というか、南海高野線・金剛駅の南側を横切る幹線道路に面して、しかも斜面の中腹にあるため・・・


搬入は狭山神社の駐車場にて行われました。


背の高い『石川型』のだんじり故、大屋根は搬入先で載せなければなりません。




そのためにも、作業ができるちょっとしたスペースが必要なんであります。



さて作業が終わりまして、無事に大屋根が載った姿はご覧の通り。




ここ前田のだんじり、当サイトの『紹介ページ』では、昭和初期の製作となっております。




同じく狭山神社氏子で昨年の同じ時期に修復され、入魂式を行なった東村のだんじりも、昭和初期の製作となっているのですが・・・




一説には『明治初期』の製作とも言われており、大工も富田林の《新堂大工組》とされていて、もしかしてその方が正しいのではないかな?




果たして昭和の初期に『石川型』のだんじりを製作する大工が居たかどうか・・・

さらに彫師が前田、東山とも《彫又》一門(前田に関しては彫又一門ではないか?)とされており、そうなると『昭和』という線はなくなると思うのですが、真相はいかがですかね?


ちなみに平成7年に《植山工務店》にて修復されています。



これら彫物の欠け継ぎなどがされている箇所は、その当時のもの。





さて一夜明けまして2月28日(日)の当日は、午前9時より狭山神社にて入魂式が行われ、お昼頃よりお披露目曳行に出発。




狭山神社の氏地内を広く回り、各町のだんじりがお出迎えを受けます。


昨年の同じ時期に修復した東村とのコラボ。





そしてこの日の最後の訪問地は、川向です。




川向では、平成3年に現だんじりを新調して『川向』として独立するまでは、この前田のだんじりを『前川』という名称で、合同で曳いていたという歴史があります。

この日、前田のだんじりで唄われていた『曳き唄』は、いわゆる『オリジナル曲』と呼ばれるタイプのもので、何かの原曲に青年団がオリジナルの歌詞を考えて唄うという、南河内の『曳き唄』の中でも発展型なのですが・・・




その中で
『二十四年の思いを込めて~』
という一節があるのですが、それは川向と分かれ『前田』という名前になってからの歳月のことを唄っていたのですね。


『だんじりに歴史あり』

まさにそんな事を実感させてもらいました。




前田の皆さん、この度はおめでとうございます。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>