見果てぬ夢を叶えし春に、誰も知らない物語
4月!・・・とうとう桜が咲き誇り、そしてまた春の雨とともに、早くも桜吹雪が始まっています。

めぐる季節に命の循環を感じずにはおれません。
どうも、『だんじりセミナー第1回目』を終えたばかりの信濃屋でございます。
月が変わって新年度となりましたが、ブログではちょいと、3月のお話に戻るのですよ。
3月21日(月休)に、大阪市は都島区、内代のだんじりの修復完了に伴う入魂式、ならびにお披露目曳行が行われました。

この内代のだんじりの修復に関しては、昨年8月にこちらのブログで一度ご紹介しています。
その時には、いよいよ念願叶って修理に出される『抜魂式』の模様をお届けしたのですが、年をまたいで今年3月、生まれ変わった内代のだんじりが帰ってきました!

その搬入は入魂式に先駆けて3月14日(日)に行われました。
施工大工は《大下工務店》です。

今回の修復では、台木、通し柱、屋根一式、縁葛などの主だった部材を新調交換し、三面の獅噛みを、先代をそのまま参考に彫り替えました。
若干、背丈も高くなった模様です。

そして迎えた3月21日(月休)の入魂式当日・・・

ここ内代は都島区で、氏神である大宮神社は旭区という事もあり、内代では最近まで宮入りが行われず、町内のみを曳行してきました。
現在でも内代では祭礼時に、地域の公園の中に『御旅所』のような祭壇を設置し、そこを曳行時の拠点としています。

今回の入魂式も、同じく地域の公園内に祭壇を設け、神職を招いて行われました。
さて午後からはお披露目曳行という頃になって・・・
旭区から中宮のだんじりがお祝いに駆けつけてくれました。

公園内に並べられた2台のだんじり。
滅多に拝めないツーショットが実現しました。

さて、昨年8月にこの内代のことをブログに書かせてもらった時に、この内代の地域でだんじりを愛し、また大阪の伝統芸能である『だんじり囃子』を愛し、この内代のだんじり修復実現に向けて奔走した『O野のおっちゃん』のことをご紹介しました。
その『おっちゃん』は、内代のだんじりの修復が実現する前にこの世を去り、だんじりの修復感性をその目で見る事は叶いませんでしたが、完成しただんじりの隅には、こうして『おっちゃん』がだんじりの中に生きています。

そしてこの『おっちゃん』の息子M君。
現在は訳あって内代を離れ、他所のだんじりに参加しているのですが・・・
この日は姿を見せておりまして、色々と話しておりましたら、そこへ、旭区の中宮のだんじりがやって来たのです。
この中宮のだんじりは、生野区は岡の先代だんじりなのでありますが、もとは八尾市・竹渕の個人が、地元でだんじりをやろうと所有していたもの。

結局、その方が亡くなられ、だんじりを世話できなくなったことで、岡が譲り受けたという経緯があります。
その八尾の個人の娘さんが、『おっちゃん』の息子・M君の奥様なのでなのであります。
修復が叶った内代のだんじりの横に、八尾市の個人から生野区の岡で復活し、今は中宮で活躍するだんじりが並びました。

その光景を見たワタクシがM君に、
『お前のお父ちゃんが愛しただんじりの横に、お前の嫁さんのお父ちゃんが愛しただんじりが寄り添ったなぁ!』
って言うと、M君本人はその事に気づいてなかった様で、言われて初めて『おぉー!』ってなった様でした。
思わぬ来客が駆けつけてくれたために、お披露目曳行の出発時間は若干遅れましたが、いざ公園を出発してからのしばらくは、中宮のだんじりと一緒に連合曳きの様相を呈しました。

大阪のだんじりといえば、ご祝儀を頂いた時に『大阪手打ち』を交わす習慣がありますが、この日の手打ちの掛け声は、『祝うて三度』の後に続けて『あーめでたいな!』までを言う、昔ながらの形式を採用していました。

これも今となっては珍しい事でね。
現在の『大阪手打ち』は・・・
『打ちまーしょ!』
『もひとつせ』
『祝うて三度』
までで終わらせますが、その昔は
『あーめでたいな』
『本決まり』
までを言うのが風習でありました。
今でも『あーめでたいな』までのフレーズは野田恵美須神社の『地車講』や、その他『枕太鼓』などで残っているところがあります。

この度の内代のお披露目曳行では、なかなか見れない光景に加えて、昔ながらの『大阪手打ち』も見られて、なかなか意味深いものだったのではないでしょうか?
O野のおっちゃん、だんじり見て喜んでたなぁ?
アンタの息子の、嫁はんのお父ちゃんが愛しただんじりとも会えたしなぁ!

内代の皆さん、この度はだんじり修復完成、誠におめでとうございます!
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