茶屋のだんぢり漫遊録

目次

橿原市今井町…会いたかった2台のだんじり…《前編》

 


まだ4月やというのに、日焼けで真っ黒になっておる信濃屋でござんす。

実は春の晴天は紫外線が強いんですよね・・・

今月も色んな『だんじり行事』に出かけましたが、晴天となると気温が上昇し、強い陽射しの元での活動となりました。




このブログの前回、前々回とお届けした、橿原神宮にて開催された『神武祭』の前日と当日も、そんな晴天に恵まれた二日間でした。




そんな中、まだ書ききれてない事がたぁぁーーーくさん!・・・あるんです。



その中でも、前回あまり深く触れる事のできなかった、今井町の2台のだんじりについて、今回は触れてみようと思うのですが・・・



このブログだったか、姉妹サイトの『だんじりeo SE』でのブログだったか忘れましたが、一昨年の『神武祭』にこの今井町のだんじりが参加した時の模様は、触れた事があります。


ただ、ワタクシ自身が足を運んで見てきた訳ではなかったので(写真と聞き取りのみでブログを書く・・・けっこうあります)、今井町の2台のだんじりをじっくり拝見する機会は、なかなか訪れなかったのであります。



とゆー訳で・・・4月16日(土)。




午前中から橿原市の十市町のだんじりが続々と運び込まれてくる中・・・




今井町のだんじりはそれらの最後に、橿原神宮へと搬入されてきました。


2台のうち先に運ばれてきたのは今井町西のだんじり。




まずは姿見を拝ませてもらいましょう。




非常に背が高い印象なのですが、足元に目をやると台木でかなりの『かさ上げ』がなされています。



平成2年に改修されていたと思います。


明治13年に《堺のだんじり大工》により製作されたというだんじりで、彫師は《彫又》西岡弥三郎となっています。


さて、そのだんじりをよーく拝見させて頂きますと・・・


まず形式ですが、一応『段差勾欄堺型』に準ずるとなっているのですが・・・



通し柱が6本で土呂幕が片側2面。

屋根の形は丸みを帯びていて舞台が前に迫り出していて、段差勾欄・・・




『大和型』に近いと看てよいのではないでしょうか?


《堺のだんじり大工》による製作となっていますが、堺でだんじりを作事していた工匠は、作品にその銘を残さない事が多く、棟梁となり製作した人物を特定する事が困難な場合が多いです。




また彫師についても、《西岡弥三郎》となっていますが、これもすべてがそうかと言われると、複数の手が入っている・・・と推察するのもアリでしょうが・・・



見送り三枚板の三面に関しては、おそらく同一の手によるものと申し上げてよろしかろう。



獅噛みも、西岡弥三郎と申し上げて良いかと。




なんせ謎が多く、しかし見応えのある1台であることは間違いないのです。


摺り出しの持ち送りに配置されている『猿と鷲』などは、なかなか秀逸。





さて、まじまじと拝見させてもらってる間に、続いて今井町南のだんじりが運び込まれて来ました。




パッと見ィ、その強烈な個性を放つ姿見に誰もが息を呑むだんじりが、今井町西のだんじりの横に並べられましたよ。





では、この今井町南のだんじりについては、また次回のお楽しみにします。


明日の更新ですよ~!



お忘れなく。




(次回に続く)

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