茶屋のだんぢり漫遊録

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宝塚でも元気にやってるで~!…大江山の名だんじり





さぁて今回、何を書こうかなぁ?・・・と思っていたブログネタですが・・・


明日は早朝から泉州地方で1台、入魂式があるし、神戸ではまた大規模な祝賀行事が行われますけど、その事を今リポートする事は出来ませんからなぁ・・・


あ、そーや!


1台触れておきたいだんじりがある~!


4月23日(土)、『宝塚だんじりパレード』で久々にお目にかかった、こちらのだんじり!



はい、宝塚市は、小林(おばやし)のだんじりです。


宝塚市内のだんじりといえば『宝塚型』の宝庫なのでありますが、ご覧のとおり、小林のだんじりは『宝塚型』ではなく、『出人形式板勾欄住吉型』です。




ワタクシ個人としては、東大阪市の足代で曳かれていた時代にこのだんじりと出会ってますから、『足代の先代だんじり』というイメージで見てしまいますが、元を正せば泉大津市は上市町の先々代だんじりであります。


当サイトの『だんじり紹介』のページを見れば、製作年代が幕末から昭和までのエラく長いスパンで表記されており、また大工も不詳となっているのですが・・・

一説にはおそらく明治20年よりも前に製作されたものとの看立てがあり、大阪は住吉の《大佐》十一代目・川崎仙之助により製作されただんじりであると云われています。




但し、屋根の形状などが一般的な《大佐》の形状とは若干違う気もしますが、逆に、『板勾欄式』のだんじりには、この形状の屋根が多い様にも思われます。




彫師は《彫又》一門とされていますが、どこか《小松》一門?・・・のような雰囲気もあるとの看立てもあり、彫物の図柄は屋根廻り以外はすべて、『大江山の鬼退治』で統一されてあるのが一大特徴です。




特に正面の板勾欄から柱巻にかけての図柄は圧巻で、見応え十分の作品であります。


大正14年に、上市のだんじり新調に伴い《大佐》へ下取りされ、翌年、大正15年に足代へと嫁ぎます。




この足代にて70年以上にわたり活躍し、足代の現だんじり新調に伴い、平成12年に現在の小林へとやって来ました。

翌年、平成13年に入魂式。


正面板勾欄から柱巻のみならず、見送り三枚板にも見事な彫物が細工されてあり、なかなか見応えあります。







『宝塚だんじりパレード』と言えば、宝塚市内から15台ものだんじりが一同に集まります。



モチロン『宝塚型』のだんじりを一度にたくさん拝めるのも目玉ですが、その型に当てはまらないだんじりも存在しており、この小林もその一つ。




この機会に、この小林のだんじりにお目にかかれるのも、楽しみの一つなのであります。

懐かしいという気持ちと、今こうして見返すとさらなる発見があったり、あの当時とは違って見えたりします。





これからも小林の地に於いて末永く大切にされる事を願いつつ、宝塚を後にしたのでありました。





今回はここまで・・・


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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