茶屋のだんぢり漫遊録

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藤井寺だんじり物語 ~二つの村の今昔~ 《前編》

 


昨日行われました、岸和田市は南町の入魂式ですが、その模様の動画が、当サイト『撮って出し』にてUPされております!
臨場感あふれる遣り廻しの模様を、ぜひお楽しみ下さい!



さてブログ本編・・・



まずは、このだんじりの姿見写真からご覧いただきましょう。

こちら!



これは、先日6月12日(日)に入魂式が行われました、藤井寺市沢田のだんじりです。

御幣の板面や担い棒の先端などで、その町名は見て取れると思います。


かなり多くの『上地車』の要素が取り入れられていますが、もとの形は『岸和田型』すなわち『下地車』です。




このだんじりは、同じく藤井寺市の伴林から購入され、今年から沢田のだんじりとして活躍することになったのですが、このだんじりの姿見そのものは、伴林で曳かれていた頃から変化はありません。



まずはその、伴林のお話からしてゆこうと思うのですが・・・





ワタクシ自身、ここ藤井寺におけるだんじり文化の歴史などについてはさほど詳しくないのですが、現在の藤井寺市の北東部に位置する伴林は、誉田の『応神天皇陵』をはじめとする『古市古墳群』の北のはずれにあります。





ここ伴林の初代だんじりは明治の初期頃から中期にかけて購入されたといわれており、それがどんなだんじりであったかは不明。

おそらく『上地車』であったことは間違いないかと思われます。



大正4年か5年頃に、現在の羽曳野市の西浦村の新町へ売却。

その後昭和16年に、そのだんじりを買い戻そうという話になり、西浦村の新町へ出向いた時には、すでにそのだんじりは貝塚方面へと売却されてしまっていたそうです。

その貝塚の某町がどこの町かは不明なのですが、買い戻し金額が高額であったことにより断念。

同じく貝塚か、もしくは岸和田方面にて曳かれていた『岸和田型』のだんじりを、大阪市内の個人が所有しており、これを購入したのが、去年まで伴林にて活躍していた、このだんじり・・・



ということなのであります。



写真でご紹介しているのは、昨年10月18日(日)に行われた、伴林でのこのだんじりの昇魂式の様子です。




戦時中にこの伴林のだんじりとなり、平成7年に《植山工務店》改修され、現在のような姿へと変わりました。



岸和田型のだんじりでありつつ、獅噛みが取り付けられ、懸魚も朱雀で、台木は波頭が施された『住吉型』によくある台木で、腰廻りには担い棒が組まれています。



このだんじりを沢田へと嫁がせた伴林では、今年、大工は《板谷工務店》、彫師は《木下彫刻工芸》により、念願の新調だんじりが完成します。





その新調だんじりの登場を心待ちにしつつ、次回のお話はこのだんじりの嫁ぎ先、いよいよ沢田のお話へと参りましょう。


(次回に続く)


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