茶屋のだんぢり漫遊録

目次

だんじり小屋のお引越し《後編》


前回から引き続き、平野区加美北東のだんじり小屋移転について、その事情や経緯などを、お話できる範囲内でお届けしています。



6月26日(日)・・・




岸和田市では南上町の入魂式が行われた日、加美北東では若い衆が集まり、だんじりを預かってもらっているとある場所へと移動です。


いよいよ、1ヶ月前にだんじりが忽然と姿を消した、その場所のシャッターが開かれますと・・・



建物の中はガラ~ンと広く、どうやらどこかの工場の倉庫のような場所



だんじりはその奥へと据え置かれており、ゆっくりとだんじりがお目見えしてきました。



あとはお囃子も鳴らさず、新しく建てられた小屋へと移動曳行して行きます。


ご存知の方もおありでしょう、このだんじりは和泉市は『信太・幸地区』富秋町の先代だんじりで、製作年代はおそらく幕末から明治初期頃と看られています。



大工は《堺の地車大工》とされ、彫師は《彫又》一門と看られており、『板勾欄式堺型』のだんじり。



『板勾欄』の内側に擬宝珠勾欄があり、実は舞台の内部は大阪系のお囃子を演奏するには少々幅が狭いのですよ。


『板勾欄式堺型』で思い出したけど、以前シリーズの様にお届けしていた、橿原市は十市町のだんじりを1台ずつ鑑賞していくお話、途中で終わってましたね~!

まだ紹介したいだんじりが残ってるんですが、また折をみて執筆しますね。



さて加美北東のだんじりは、一時的に預かってもらっていた場所から、『JRおおさか東線』の線路沿いに北へと向かい、約30分ほどかけて、新しく建てられた小屋へとやって来ました。




こちらが!・・・総工費2億円(ウソウソ)をかけて建設された『加美北御殿』です!




いやまぁこの場所も、古い倉庫が残る土地を、少し間借りして建てた小屋なので、実はこれを未来永劫使用する訳ではないとの事。



やがてはこの古い土地をある程度買い取って、小屋と会館とを建設できればいいなぁ~・・・と、会の関係者の方はおっしゃってました。


それまでは、この小屋も一応の仮小屋なのだそう。





2回にわたってお送りしてきた加美北東のだんじり小屋お引越しの話題ですが、本当に大阪市内などの地域では、こうしてだんじりを維持管理する保管場所についても、なかなか簡単にはいかない事情があるのですね。

関係者のみなさんのご苦労をお察しするとともに、大きな小屋と会館を建設する念願が早く叶いますよう、お祈りしています。





さて、いよいよ7月。


『大阪夏祭』、開幕しますよ!



信濃屋お半悠遊!だんじり録
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