64年ぶり!・・・北河内型のだんじり新調!《その1》

8月に入る手前頃から、やたらと暑くなりましたね!
7月が比較的涼しかった分を取り戻すかのような、連日の猛暑を迎えております。
そんな、真夏の太陽が照りつける8月7日(日)・・・

大東市の御領で、待望の新調だんじりが完成し、その入魂式とお披露目曳行が行われました。

昨年12月のブログに、ここ御領の先代だんじりについての記事を書かせて頂きました。
『北河内型』(讃良型)のだんじりとしては、やや背の低いだんじりであった事、見送り部分に施された三枚板の彫物は、屋根廻りの彫物とはどうやら手が違う事から、おそらく後から追加されたものではないか・・・という事など、先代だんじりの特徴などを書き綴っております。

さらに、11月29日に行われた昇魂式の模様ならびに、その先代だんじりは大東市立歴史民俗資料館へと寄贈され、部品単位で保存、展示されることまでご紹介させて頂きました。
あれから9ヶ月・・・
ついに待望の新調だんじりが完成し、入魂式ならびにお披露目曳行が行われました。

大工は岸和田の《大下工務店》、彫物は《辰美工芸》が担当し、『北河内型』のだんじりとしては、同じく大東市の北条東之町が昭和27年に新調されて以来、なんと64年ぶりの新調となるそうです。

なんか・・・書きたい事がいっぱい湧き出てくるなぁ・・・
大東市をはじめ、隣接する四條畷市や守口市、門真市などに多く分布する『北河内型』のだんじり・・・

中でも『讃良型』と呼ばれるだんじりのほとんどは、幕末から明治にかけて製作されており、当時、讃良郡の大工と呼ばれる『大工組』が存在したといわれ、おそらくその『大工組』によって多くの『北河内型』(讃良型)のだんじりが製作されたのでありましょう。

その特徴と言えば何と言ってもその巨体であり、高さ5メートル、長さ6メートルに及ぶだんじり本体に、さらに長い担い棒を取り付け、大人数でゆっくり動かすその曳行風景は、北河内ならではの風景となっています。

そしてその巨体に組み込まれる彫物もかなり大ぶりで、《小松》《相野》《彫清》といった当時の名門が、その大きな部材に迫力の作品を数多く残しています。

しかし、大工、彫師の一門とも明治の中期以降、時代と暮らしの大きな変化の中でいつしか消え去り、だんじり製作はされないまま時が流れて行きました。
戦後、昭和27年に新調された北条東之町の大工は浅倉久尚、大谷俊夫、高桑若丸といった顔ぶれに、彫師は《井波彫刻》の野村清太郎、野村一宝という顔ぶれ。

それまで連綿とだんじり製作が受け継がれていた訳ではないだけに、当時の工匠たちの苦心は想像に余ります。
それからさらに64年の年月が流れ、ここに再び、『北河内型』のだんじりが新調された事は、まことに歴史的でなおかつ画期的な事であると思います。

《次回に続く》
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