あの名だんじりに会いに行こう

前回、深夜にオリンピック中継を見るほどの事はしていないと書きましたが、レスリング女子決勝だけは徹夜で見てしまいました。
吉田沙保里選手の決勝は残念でしたが、その吉田選手を下したアメリカのマルーリス選手の涙は、この上なく美しいものでした。
その後の川井選手の優勝決定後、駆け寄ってきた栄本部長を河合選手が投げ飛ばす場面は、吉田選手の敗戦を忘れさせるぐらい痛快でした!
さぁ、そんな熱い(暑い)夏も残り少なくなってきましたが、ブログはまだまだ夏の話題。
8月6日(土)の事ですが、松原市の『第42回 まつばら市民まつり』に、あのだんじりが参加しました。

これは松原市の河合のだんじり。
このだんじりの姿を見て、
『お、懐かしい』
とお思いの方も多々おられましょう。

これはそう、かつて泉大津市の浜八町で活躍していた、田中町の先代だんじり。
昭和6年に《大宗》植山宗一郎により製作されただんじりで、彫師は三代目・黒田正勝、吉岡義峰、森曲江、木下舜次郎という、今見ても『おぉ!』と声を漏らしてしまいそうな面々。

通常、『上地車』見送り部分は三枚板形式であったのを、岸和田型のような見送りを導入した、いわゆる『折衷型』と呼ばれるだんじりの先駆けと言えるだんじり。
平成24年、田中町の現だんじり新調に伴い、ここ松原市の河合へとやって来ました。

河合のだんじりとなって2年目の平成25年にも『だん馬鹿さん』がブログで触れておりますが、ワタクシもそれに追随しようかと思います。
この8月6日(土)も暑かったですよね~!

この『まつばら市民まつり』は今年で42回目を迎える松原市の恒例行事で、近鉄・河内松原の駅前から松原中央公園までの道のりを、様々な隊列がパレードするもので、河合のだんじりはそのしんがりを務めるもの。

猛暑の中を駆け抜けるだんじりは、短い時間ではありますが、無事に曳行を終えました。

かつて、だんじり祭りの盛んな地域で活躍していただんじりが、新調などの事業に伴って他の地域に売却されてゆく事はよくある事です。

それが毎年どこかで繰り返され、だんじりの途絶えていた地域や、新規にだんじり曳行を始めようとする地域に根付いてゆく事は、だんじりの世界が新陳代謝を繰り返しているという事なので、それは喜ばしい事なのであります。

かつての激戦をくぐり抜けてきただんじりが、こうして次の場所で活躍し、地域の人達に大切にされている様子を見ると、地域のコミュニティ作りにだんじりが果たす役割を再認識します。

皆さんもまた、こうして第二の場所で活躍する名だんじりに、会いに行ってみませんか?

では今回はここまで・・・
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